398回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~熊本地震あれから3ヶ月が経った

こんにちは管理人のみつまめです。

ふと新聞に目を通し思った、、、

熊本地震から3ヶ月、人生の明暗を分けるものは何なのだろうかと・・・

2026年7月28日、熊本県を襲った最大震度7の大地震。

あれから昨日の28日で3ヶ月が経過した。

しかし、被災地ではいまだ復興の道半ば。多くの人々が避難生活を余儀なくされ、以前の暮らしを取り戻せない日々が続いているという。

そして、あの地震直後に発生した「イオンモール熊本」の爆発事故。

何の罪もない7人の尊い命が奪われた。

あの日、いつものように仕事をし、いつものように家族のもとへ帰るはずだった人たち。

まさか、その日が人生最後の日になるとは、誰が想像できただろうか。

あれからもう3ヶ月。いや、まだ3ヶ月しか経っていない。

この時間の感じ方の違いに、みつまめは何とも言えない複雑な思いを抱く。

私たちは日々、仕事や家事、趣味に追われ、昨日の出来事さえ忘れてしまうことがある。

世間の関心も次々と起こる事件や事故へと移り変わっていく。

しかし、愛する家族を失った遺族にとってはどうだろうか。

3ヶ月という時間が過ぎても、失われた命は戻らない。

昨日まで当たり前だった日常が、ある日突然、永遠に失われてしまったのだ。

世間にとっては過去の出来事になっても、遺族にとっては今も続いている悲劇なのである。

ああ無常だ。

ここで、みつまめはふと考えてしまう。

同じ日本に生まれ、同じ時代を生きているのに、なぜこれほどまでに人生の明暗が分かれるのだろうか。

たまたま、その場所にいた人。

たまたま、その時間に居合わせなかった人。

ほんの数分、いや数秒の違いで、生と死が分かれてしまうことさえある。

それを「運命」という一言で片づけてしまってよいのだろうか。

もちろん、誰もが災難には遭いたくない。

みつまめだってそうだ。

しかし、世の中で起こる様々な事件や事故、自然災害を見聞きするたびに、どうしても腑に落ちない思いが込み上げてくる。

なぜ、ある人には何事もない平穏な一日が訪れ、ある人には人生を根底から覆す一日が訪れるのか。

そこには善人も悪人もない。

努力した人が必ず報われるわけでもなく、真面目に生きてきた人が必ず守られるわけでもない。

人生とは、何と理不尽なものなのだろう。

そして、もう一つ考えさせられることがある。

それは、人は自分が経験していない悲しみを、どこまで理解できるのだろうかということだ。

ニュースを見て胸を痛め、犠牲者を悼むことはできる。

しかし、当事者が抱える本当の苦しみや絶望を、同じ深さで理解することは難しい。

いやできない(;^_^A

でも寄り添う気持ちは持てるはずだ。

もし、それが自分の家族だったら。

もし、自分がその場所にいたら。

人間は、生まれる場所も時代も選べない。

そして、いつ、どこで、何が起こるのかも分からない。

だからこそ、今日という何事もない一日が、どれほどありがたいものなのかを考えなければならないのかもしれない。

当たり前に家で、朝を迎え、家族と食事をし、何事もなく眠りにつく。そんな平凡な一日こそ、実はかけがえのない幸せなのだ。

熊本地震から3ヶ月。

被災された方々にとって、本当の意味での復興はまだまだこれからだ。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りするとともに、一日も早く被災地に平穏な日常が戻ることを願ってやまない。

そして、私たちも決して忘れてはいけない。

災害の記憶が薄れても、悲しみまで消えたわけではないことを。

人生の明暗を分けるものは何なのか。

考えても考えても、答えは見つからない。

人は生まれる日を選べず、人生に何が起こるかも選べない。それなのに、その結果だけは自分自身や家族が背負わなければならない。

何とも不公平で、何ともやりきれない。

何回でも言う、、、

ああ無常。

みつまめには、今はこの言葉しか思い浮かばない。

皆さんは、どうお考えだろうか。

人生とは、運命なのか。それとも、偶然の積み重ねなのだろうか。

答えの出ない問いだからこそ、皆さんと一緒に考えてみたいと思う。

★日常の生活ができるだけで幸せだ。

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