355回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~気になって、気になって仕方がなかった9月13日・・・

こんにちは管理人のみつまめです。

9月13日~「沖縄」、「侍ジャパン」、そして「イチロー」

9月13日(日)は忙しかった。

いや~、忙しかったというより、気になった、いやいや、気になって、気になって、しょうがない一日だった(笑)。

テレビを見て、スマホを見て、速報を確認して・・・

・沖縄では日本の未来に関わる知事選。

・台湾・台北では高校球児たちがアジアの頂点をかけて宿敵・韓国と激突。

・そして東京ドームでは、イチロー率いる「KOBE CHIBEN」と高校野球女子選抜が真剣勝負。

なんで全部、同じ日にやるんだよ~と独り言(笑)。

しかし、どれも見逃せない戦いだ。

そんな「勝負の9月13日」を振り返ってみたい。

■まずは沖縄~「沖縄を前に」~が勝った

最も気になっていたのが沖縄県知事選だった。

結果は、新人の古謝玄太氏が初当選。

現職の玉城デニー氏を破り、沖縄県政では12年ぶりに保守系知事が誕生することになった。

古謝氏が掲げた言葉は、

「沖縄を前に」

みつまめは、この言葉に今回の選挙の意味が凝縮されているように思う。

辺野古移設をめぐって政府との対立が続いてきた沖縄。

もちろん基地負担という沖縄の重い問題を忘れてはいけない。

しかし一方で、中国が台湾周辺や東シナ海で軍事的な動きを強める今、沖縄の安全保障は「沖縄だけの問題」ではない。

日本全体の問題である。

だから今回の結果を、単なる「知事が代わった」という話ではなく、

沖縄がこれからどちらへ進むのか、その方向を県民が選んだ選挙

として受け止めている。

中国との距離感や辺野古移設をめぐる玉城県政に疑問を抱いていた、そしてあの辺野古沖転覆事件で、ご両親に寄り添う対応をしなかった玉城デニー氏に違和感を感じた、みつまめは、古謝氏の勝利には大きな期待を抱いている。

「沖縄を救った」と言えば大げさだろうか。

いや、、、安全保障まで考えれば、日本の未来を左右する一票だったと言ってもいいのではないか。

古謝新知事には、選挙に勝って終わりではなく、本当に沖縄を「前に」進めてもらいたい。

■そして台北~織田翔希が投げられない!

今度はこちらが気になって仕方がない。

第14回BFA U-18アジア選手権決勝。

日本 VS 韓国。

しかも舞台は台北ドーム。

横浜高校のエース、織田翔希投手に注目してきたみつまめは、当然見逃せない。

ところが、、、(;^_^A

織田が投げられない!

前日のチャイニーズ・タイペイ戦。

負ければ決勝進出を逃す大一番で、織田は6回3安打1失点、7奪三振の好投。

日本を2―1の勝利へ導き、決勝への扉をこじ開けた。

その反面、そのルールという代償があったとは。

球数制限によって翌日の決勝には登板できなかったのである。

そして決勝の相手は韓国。

日本は韓国の左腕ハ・ヒョンスンを攻略できず、わずか1安打。

0-2

惜しくもアジアの頂点には届かなかった。

悔しい。

実に悔しい。

「もし織田が投げられていたら・・・」

野球ファンなら、ついついそんな「たられば」を考えてしまう。(;^_^A

勝負の世界は、どちらかが勝ち、どちらかが負ける。

しかし、そもそも前日の台湾戦を勝ち抜かなければ決勝の舞台そのものがなかったというべきか・・・。

織田は投げられなかったのではない。

決勝へ行くために、前日にすべてをかけて投げたのだ。

そう考えれば、この準優勝にも大きな価値がある。

この悔しさを胸に、彼らが数年後、プロ野球や日の丸を背負い、世界への舞台で再び躍動する姿を期待したい。

■そして東京ドームでは「52歳の怪物」が投げていた(笑)

沖縄と台北が気になっている一方、東京ドームでは何とも夢のある野球が行われていた。

「高校野球女子選抜 VS イチロー選抜 KOBE CHIBEN」

今年で6回目を迎えた異色の対決である。

結果は、

KOBE CHIBEN VS  高校野球女子選抜 7-0でイチロー率いるチームの勝利。

そして、やっぱり、さすがイチローは普通ではない。

イチロー、9回127球、5安打無失点、17奪三振。完封。

あこがれの52歳だ(笑)。

しかも「1番・投手」。

さらにレジェンド松井秀喜氏も4番で2安打。

松井稼頭央氏も2安打。

なんというメンバーだ。

野球ファンにとってこれほどの往年のレジェンド選手を見ることはなかなかない(@^^)/~~~

高校女子選抜にとって、勝ち負け以上に、かつて世界を舞台に戦ったレジェンドたちと同じグラウンドで本気の勝負ができること自体が、とてつもなく貴重な経験だろう。

そしてイチロー自身も、これは単なるお遊びのイベントとして投げているのではない。

52歳になっても身体を作り、本気で投げ、本気で打つ。

だから女子選手たちも本気になる。

本気と本気がぶつかるから面白い。

もう真剣勝負間違いない(@^^)/~~~

そこに、この試合が6回も続いている理由があるのだと思う。

■政治も野球も、、、結局、人を熱くさせるのは「本気の勝負」だ

それにしても9月13日。

沖縄では、県政の未来を決める一票をめぐる勝負。

台北では、日の丸を背負った高校球児たちによるアジアの頂上決戦。

東京ドームでは、52歳のイチローと高校女子選手たちによる世代を超えた真剣勝負。

勝った者がいれば、負けた者もいる。

古謝玄太氏は勝った。

侍ジャパンU-18は残念だが敗れた。

イチロー選抜は勝った。

しかし、この日の三つの勝負を見ていて改めて思った。

人の心を動かすのは、結果だけではない。

そこへ至るまでに、どれだけ本気で挑んだのか。

何を背負って戦ったのか。

そして、その勝負の先に何を目指しているのか。

だからみつまめは結果が出るまで気になって、気になって、しょうがなかったのだろう。

それにしても、いやぁ~、忙しい一日だった。

正確には、

気になり過ぎて、みつまめが勝手に忙しくなった一日だった(笑)。

~9月13日~

「まだまだ前へ進める」

そんなことを三つの勝負から教えてもらった一日だったのかもしれない。

★実は、もうひとつ巨人と阪神の勝敗が気になってたんやけどね(;^_^A

354回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~巨人新人竹丸10勝の凄さ・・・

こんにちは管理人のみつまめです。

今年3月29日、228回のブログ「巨人、開幕投手白星、竹丸投手は救世主になる」の予想が見事にあたり、昨日、今年終盤戦一番の頂上決戦「阪神」VS「巨人」戦で竹丸投手は見事に虎を倒した。

大阪に居ながら大の巨人ファンであるみつまめにとっては、今年一番の痺れる試合だった。

ここ一番の試合に、橋上監督代理は勝負に出た。

阪神との首位決戦、勝てば0.5ゲーム差に迫る。

5番・三塁に坂本、7番・左翼で丸を起用、この試合に懸ける意気込みが伝わってきた(@^^)/~~~

やはり大事なここぞという試合には選手の格が勝負を左右する。

それにしても新人竹丸投手は強心臓で7回を4安打無失点。前回4日の広島戦に続く10奪三振の快投で、なんと球団では2013年の菅野(現ロッキーズ)以来となる新人での2桁勝利をつかんだ。

投球スタイルも見る側を熱くしてくれた。

1球1球全力での投球スタイルは帽子がふき飛ぶほどの渾身の力で投球した。

この試合の一勝は、とてつもなく大きい、

M17の阪神は4連敗だ。

連覇には暗雲が見え隠れしてきたと勝手にみつまめ論は語る。

竹丸の好投の裏にはもちろんチーム全員の力が目立った。

2回には松本剛外野手のレフト奥のファウルすれすれの二塁打であげた1点が大きかった。

あとは坂本の1回無死、阪神近本の三塁線への強烈な打球を坂本はその難しいゴロをうまくバウンドを合わせて滑り込みながら逆シングルでつかんだ。そして座ったまま一塁に送球したが、わずかに逸れ一塁はセーフになった。

しかしこの近本の三塁打打球が抜けていれば無死二塁は間違いなく、試合の流れが変わったかもしれないすばらしい好捕だった。

竹丸の後を引き継いだ8回の森田駿哉投手もわずか8球でゼロに抑え、いい仕事をした。

森田投手はこれで20試合連続無失点、抜群の安定感でブルペンを支えている。

そして最終回、もちろん勝利の方程式、マルチネスが登板だ。

マルティネス投手は巨人の守護神として、史上6人目、外国人投手では史上初となる通算250セーブを達成。

この試合で251セーブとした、巨人が最も頼りとする最強の援護投手だ(@^^)/~~~

これから残り15試合、強靭な役者がそろう我が巨人軍の優勝を願い、みつまめの秋の楽しみを待つ今日この頃だ(@^^)/~~~

★竹丸投手は、巨人の救世主になる(@^^)/~~~

 

353回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~未解決事件のなぞ・・・

こんにちは管理人のみつまめです。

昨日のNHK放送「未解決事件」を観た。

子どもを思う苦難の30年間に、想像するだけで胸が痛かった。

平成8年(1996年)9月9日、東京都葛飾区柴又の自宅が全焼し、焼け跡から上智大学4年、小林順子さん(当時21歳)の遺体が見つかった事件だ。

順子さんは、そのわずか2日後、交換留学のため米国シアトルへ旅立つ予定だった。

ジャーナリストを志し、大きな夢を胸に新たな一歩を踏み出そうとしていた順子さん。

その未来を突然、そして無残にも奪った犯人は、30年という歳月が流れた今も捕まっていない。

わが子を失った悲しみを抱えながら、それでも事件の解決を信じ続けてきたご両親。

「なぜ娘が殺されなければならなかったのか」――。

その答えさえ得られないまま過ぎていった30年という時間を思うと、言葉を失う。

犯人は、いったいどんな人物なのか

警視庁によれば、順子さんが殺害されたのは、母親が外出した午後3時50分ごろから、火災の119番通報があった午後4時39分までのわずかな時間だった。

焼け跡から順子さんの遺体が見つかった。

手足をガムテープで縛られ、首を刺されての死亡だった。

犯人は小型の刃物を使ったとみられている。

さらに重要なのが、現場に残されたマッチ箱に付着していたA型の血液が、現在の科学でDNA型情報の分析にも期待がかかる。。

捜査は現在も続いており、事件から30年となった今も警視庁は不審な男の目撃情報などを公開し、情報提供を呼びかけている。

では、犯人はなぜ30年間も捜査網をくぐり抜けることができたのか。

順子さんと何らかの接点があった人物なのか。

それとも、偶然そこに居合わせた人物による犯行だったのか。

放火は証拠を消すためだったのか、それとも別の意味があったのか。

しかし、確実に言えることが一つある。

犯人はこの30年間、逮捕されることなく、今もこの社会のどこかで時間を過ごしているということだ。

なぜ、これほど証拠があっても捕まらないのか

ここで思い浮かぶのが、同じく日本社会に大きな衝撃を与えた未だまだ解決していない、二つの重大な未解決事件が残っている。

一つは、平成12年(2000年)12月に起きた「世田谷一家4人殺害事件」。

幼い子ども2人を含む宮澤さん一家4人が殺害された。

この事件の異様さは、犯人が現場に自らの血液や指紋、衣類など数多くの証拠を残していることだ。

しかも犯行後すぐに逃走せず、家の中にとどまり、冷蔵庫のアイスを食べたり、パソコンを操作したりしたことまで判明している。

それだけの証拠がありながら、いまだ逮捕には至っていない。

なぜだ・・・

近年では現場に残されたDNAの新たな解析も進められ、犯人像を絞り込もうとする捜査が続いている。

もう一つが、平成7年(1995年)7月30日に起きた「八王子スーパー強盗殺人事件」である。

スーパー「ナンペイ大和田店」の事務所で、アルバイトの女子高校生2人とパート従業員の女性、合わせて3人が拳銃で殺害された。

無抵抗の女性3人を至近距離から撃った凶悪事件だった。

こちらも事件から31年が経つ。

未だ、犯人はまだ捕まっていない。

三つの事件に感じる「不気味さ」

柴又、世田谷、八王子。

事件の性質も、犯行方法も、被害者との関係も異なる。もちろん、この三つの事件に関連があるという話ではない。

それでも共通して感じる恐ろしさがある。

それは、これほど重大な殺人事件を起こした人物が、長い年月を経ても特定されていないという現実だ。

なぜ捕まらない・・・

犯人も当時の姿ではない。

30年前に20代だった犯人なら、いまは50代。

30代だったなら、60代。

40代だったなら、すでに70代である。

あるいは既に、亡くなりこの世にいない可能性だってある。

これはあくまで可能性だ・・・。

しかし、もし生きているなら、その人物は何食わぬ顔で日常生活を送りながら、自分が人の命を奪った事実を30年間抱えてきたことになる。

みつまめはそこに、未解決事件特有の恐ろしさを感じる。

「時間」が犯人を守ってはならない

順子さんの父・賢二さんは80歳になった。

賢二さんは殺人事件被害者遺族でつくる「宙の会」会長を務めており、公訴時効撤廃の法改正に尽力をされた方だ。

犯人よ、今どこにいる。

時効という逃げ道は今はない。

順子さんの父、賢二さんは「誰が何のための殺したのか、答えを教えてほしい」と話されている。

つらくても、それがご遺族の心情だ。

ご遺族が生きているうちに真相を願う。

合掌。

352回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~張本勲さんを偲んで・・・

こんにちは管理人のみつまめです。

張本勲さん逝く~その人生に最後の「あっぱれ!」を~

「安打製造機」と呼ばれ、日本プロ野球史に大きな足跡を残した張本勲さんが9月9日、86歳で亡くなった。

通算3085安打。

いまだ誰も到達していない、日本プロ野球史上ただ一人の「3000安打」を成し遂げた大打者である。

しかし、張本さんの人生を振り返ると、この3085という数字の裏には、みつまめ含む多くの野球ファンの皆さんには想像もできないほどの苦労があったことを忘れてはならない。

在日韓国人二世として広島に生まれ、幼いころの大やけどによって右手に大きな障害が残った。

そして5歳の夏、広島で被爆した。

原爆では最愛の姉を失い、自らも被爆者として「いつ原爆症が出るかわからない」という不安を抱えながら生きてきた。

さらに、当時の社会には在日韓国人に対する厳しい差別もあった。

右手のハンディ、被爆の記憶、貧しい暮らし、そして差別。

普通なら一つ背負うだけでも人生を左右しかねないものを、張本さんはいくつも背負って野球の世界へ飛び込んだ。

だからこそ、彼にとって野球は単なるスポーツではなかったのではないだろうか。

「打てなかったら生活はどうなる」

そんな切実な思いが、23年間の現役生活を支えていたという。

天才だから打てた。

3085安打という数字だけを見れば、そう思ってしまう。

しかし、その陰には「明日も打たなければならない」という恐怖にも似た執念と、誰にも負けたくないという貪欲さ、そして人知れぬ努力があったのだろう。

現役23年間。

2753試合に出場し、1万1122打席。

3085安打、504本塁打、319盗塁。

首位打者7回。

打率3割以上を16度記録した。

これほど長い年月、結果を出し続けるというのは、才能だけでできることではない。

右手の不自由を抱えながら、むしろそのハンディを乗り越えるために磨き上げた広角打法。

逆境を嘆くのではなく、逆境を自分の武器へと変えていった。

それこそが「安打製造機・張本勲」の真骨頂だったのではないか。

引退後は「球界のご意見番」として、お茶の間でもおなじみの存在となった。

「喝!」

そして、

「あっぱれ!」

時には厳しすぎると批判されることもあった。

しかし、命がけで野球と向き合ってきた張本さんだからこそ、プロの世界に対して妥協できなかった部分もあったのだと思う。

張本さん。

長い長い現役生活、本当にお疲れさまでした。

張本さんが残した3085本の安打も、その豪快な「喝!」も、そして時折見せた満面の笑顔も、野球ファンの記憶から消えることはないでしょう。

最後くらいは、張本さん自身にこの言葉を贈りたい。

右手のハンディを乗り越えた人生に、あっぱれ!

被爆の記憶を背負いながら生き抜いた人生に、あっぱれ!

そして、日本プロ野球史上最多3085安打を積み上げた野球人生に~

大あっぱれ!!

心よりご冥福をお祈りいたします。

★合掌。

351回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~一字違いで大違い/~~~たまには笑いたいよね(@^^)/~~~

こんにちは管理人のみつまめです。

今朝の産経新聞「産経抄」を読んでいて、思わず笑ってしまった。

紹介されていたのは、詩人・茨木のり子さんの「笑う能力」。

どこかの教授のもとに、教え子から手紙が届いたという。

「先生、お元気ですか。我が家のもそろそろ色づいてまいりました」

お年ごろの「姉」が色づいてきた~。

なんとも艶めいた話ではないか(笑)。

ところが、タネを明かせば「姉」ではなく「柿」。

たった一文字の書き間違いだった。

手紙を受け取った教授は、「柿」の間違いだと気づくまで、いったい何秒くらい「色づいた姉」を想像していたのだろう。

ふとした拍子に思い出し笑いを誘われる、こういう笑い、みつまめは大好きだ(@^^)/~~~

茨木のり子のいう「笑う能力」。

それは案外、
こうした言葉の間違いを見つけて笑える、
心の余裕があってもいいものだ(@^^)/~~~

★みつまめもちょっと考えてみた(@^^)/~~~

350回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~88歳堀江さん「太平洋横断」に挑戦!

こんにちは管理人のみつまめです。

最近、世の中を見渡せば暗いニュースばかりだ。

戦争、災害、物価高、事件、事故、、、云々(;^_^A
テレビをつけても、ネットを開いても、どうも気持ちが沈む話が多い。

そんな中、今朝、久しぶりに胸がスカッとするニュースが飛び込んできた。

海洋冒険家・堀江謙一さん、88歳。再び太平洋へ~。

来年春、ヨットによる単独無寄港で、米サンフランシスコから兵庫・西宮までの太平洋横断に挑戦するという。

なんと88歳である。

みつまめは、この数字を聞いただけで驚いてしまう。

「もう歳だから」

普通なら、そんな言葉が出てきても不思議ではない年齢だ。

ところが堀江さんから出てきた言葉は、まったく逆だった。

今回の挑戦について、

「チャレンジャーとしてのマグマが噴き出した」

と語ったという。

さすが冒険家だ(@^^)/~~~

さらに、若い頃は人生が無限にあるように感じたが、80歳を超えると人生が有限だと強く意識するようになり、それがかえって情熱を大きくしたのではないか、、とも語っている。

これは実に興味深い。

普通なら「残された時間が少なくなったから無理をしない」と考える。

しかし堀江さんは、

「時間が有限だからこそ、やりたいことをやる」

真逆の発想だ(@^^)/~~~。

この違いは何なのだろう。

できることなら一度、ご本人に聞いてみたいものだ。

「堀江さん、いったいどこから、そんな挑戦への原動力が湧いてくるのですか」と。

思えば日本には、もう一人、とんでもない冒険家がいる。

三浦雄一郎さんだ。

三浦さんは2013年、80歳にして世界最高峰エベレストの頂上に立った。しかも70歳、75歳に続く3度目のエベレスト登頂だった。

三浦さん自身、成功を支えたものとして、強い意志と諦めない忍耐力、そして周到な準備の重要性を語っている。

海の堀江謙一。

山の三浦雄一郎。

舞台はまったく違う。

しかし二人には、どこか共通するものがあるように思えてならない。

それは、年齢を「できない理由」にしないことだ。

もちろん、無謀な挑戦をすればいいという話ではない。

冒険には準備があり、経験があり、危険を見極める冷静さがある。

それでも最後に人間を一歩前へ動かすものは、

「まだやってみたい」

という気持ちなのではないだろうか。

人間は歳を取ったから夢を失うのではなく、夢を持たなくなったときに、本当の意味で歳を取るのかもしれない。

88歳になっても太平洋の向こうを見ている男がいる。

80歳で世界最高峰を見上げ、「そこへ行こう」と決めた男もいる。

そう考えると、私たちが「もう遅い」「今さら無理だ」と諦めていることの中には、実はまだまだ挑戦できるものがあるのではないか。

堀江さんのヨットが目指すのは、サンフランシスコから西宮までの太平洋横断だ。

しかし、その航海が運んでくるものは記録だけではないと思う。

人生は何歳になっても、まだ先がある

そんなメッセージを、日本中へ運んでくれる航海になるのではないだろうか。

暗いニュースが続く今だからこそ、こういうニュースはうれしくなる。

88歳の冒険家が、再び大海原へ出ようとしている。

ならばみつまめも、まだまだ老け込んでいる場合ではない。

夢に定年なし。
挑戦に年齢制限なし。

~堀江謙一さん~。

来春、どうか無事に太平洋を渡り切り、西宮へ帰ってきてほしい。

そしてもう一度、日本中に大きな夢を見せてほしい。

筋トレを愛する、みつまめも、自分の目指すボディ・デザインを手にするまで夢に向かって進んでいきたい。

88歳の挑戦者に、心からエールを送りたい。

★堀江さん 夢をありがとう。。。必ずや成功を祈っています(@^^)/~~~

349回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~それにしても暑すぎる(;^_^A

こんにちは管理人のみつまめです。

人一倍汗かきのみつまめは最近の湿った空気に悩まされ続けている(;^_^A。

通勤の家から最寄りの駅までの徒歩11分、そして駅の階段を上がるともう汗だくでへとへとになる(;^_^A

そこで今回、みつまめが最近思う嫌な予感がすることを綴ってみた(;^_^A

もう日本の「四季」は戻らないのか

~9月になっても終わらない猛暑、頻発する豪雨に感じる嫌な予感・・・~

それにしても暑すぎる(;^_^A

暦の上ではもう9月。

昔なら朝晩には少し涼しい風が吹き、「そろそろ秋だなぁ」と感じたものだ。

ところが今はどうだ。

外へ出れば、まとわりつくような湿気と猛烈な暑さ。

そして最近、さらに気になるのが全国各地を襲う危険レベル5という「猛烈な雨」が全国を覆う現象が起きていることだ。

線状降水帯が発生すれば、ほんの数時間で道路が川のようになり、住宅が浸水し、土砂災害まで発生する。

もはや「今年はちょっと変な天気だね」で片付けていい状況なわけではないレベルまできている。

気象庁によれば、日本国内では極端な大雨の発生頻度が実際に増加している。

1時間80ミリ以上、3時間150ミリ以上、日降水量300ミリ以上といった極端な大雨の発生頻度は、1980年ごろと比べ、最近10年間ではおおむね2倍程度に増えているという。

さらに気象庁は、2026年7月中旬から下旬にかけての西日本の平均気温が、統計開始以来最も高くなったと発表している。

その背景には偏西風の蛇行やチベット高気圧、太平洋高気圧などに加え、地球温暖化の影響もあると分析しているようだ。

つまり、、、

「最近、何となく天気がおかしい」ではなく、本当に気候そのものが変化しているのである。

ここで一つ、みつまめの勝手な妄想、いや、嫌な仮説を立ててみた。

もし現在起きていることが単なる「猛暑の年」ではなく、

日本の気候が別の状態へ移行している途中なのだとしたら?

これがみつまめが勝手に感じている「嫌な予感」だ。

これまで日本の四季は、

春 → 梅雨 → 夏 → 秋 → 冬

という、おおよその季節のリズムがあった。

ところが将来、

長い酷暑

大量の水蒸気

局地的な猛烈な雨

短い秋

突然の寒波

そんな極端な気候を繰り返す国になってしまったらどうなるのか。

しかも怖いのは、暑さと豪雨がまったく別々の問題ではないことだ。

気温が上昇すれば、大気中に含むことのできる水蒸気量も増える。そして条件がそろえば、その大量の水蒸気が猛烈な雨となって落ちてくる。

実際、気象庁の研究では、地球温暖化によって日本全国の線状降水帯の総数が約1.5倍になったと推定されたケースも報告されている。

もちろん、個々の線状降水帯をすべて温暖化だけで説明できるわけではない。

それでも、

「暑くなる」だけが温暖化ではない。

この点はもっと真剣に考えた方がいいかもだ。

本当に怖いのは「異常」が日常になることだ

みつまめが最も気になるのはここだ。

35℃を超えても、

「今日も暑いな~」

猛烈な雨が降っても、

「また線状降水帯か~」

電車が止まり、道路が冠水し、川が氾濫しても、

「最近よくあるよね」

と、人間は、いつの間にか慣れてしまう。

しかし、その「慣れ」こそが一番怖い。

かつて異常だった現象が、いつの間にか日常になっているのではないか。

そしてふと気が付いた時には、時すでに遅し、、、

「もう昔の日本の夏には戻れないこと」だ(;^_^A

そういうところまで来ている可能性だってある。

線状降水帯そのものについても、気象庁は発生メカニズムには未解明な点が多く、継続的な研究が必要だとしている。

だからこそ、「科学が全部分かっているから大丈夫」と安心するのもまた違うと思う。

分からないことが残っているからこそ怖いのだ。

みつまめが思う「嫌な予感」が外れてほしい

巨大な陰謀が隠されている、、、などと言いたいわけではない。

むしろ、みつまめが恐れている「隠された何か」とは、

まだ人間自身が十分に科学的にも把握できていない、想定外の気候変動の連鎖なのかもしれない。

海水温、大気中の水蒸気、偏西風、高気圧、台風、都市のヒートアイランド。

それぞれが複雑に影響し合った結果、われわれの予想をはるかに超えるスピードで、日本の気候そのものが変わり始めているとしたら――。

この先、これまでの常識では予測できなかった「想定外の気候変化」が起きても不思議ではないのかもしれない

考えすぎならいいのだが……。

何か嫌な予感がしてならない。

来年の9月。

みつまめも含む皆さんがまた、

「今年も暑いなぁ~(;^_^A」

などと言っているのだろうか。

それとも――

「昔は9月になったら涼しかったんだけどな」

そんな言葉が、本当に昔話になってしまうのではと思うと、そして日本の四季というそのものの言葉が何れ過去のものになっているかもだ(;^_^A。

あ~怖い怖い・・・!

★ほんとに昔はよかった(@^^)/~~~

348回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~「同志社国際高校、もう一つの悲劇」

こんにちは管理人のみつまめです。

みつまめが今、最も注目している辺野古沖転覆事件の関係者11人の、刑事告訴調査中の最中、痛ましい「第二の事故」が起きてしまった。

週間新潮9月10日号に、その詳細が克明に綴られていた。

8月23日の朝9時半ごろ、京田辺市内を走る近鉄京都線の踏切で、男性が急行電車にはねられ死亡。これにより1時間20分ほど運転が見合わせられ、およそ1万5000人に影響が及んだという。

「遺体は損傷が激しく身元の特定が困難でしたが、近くにあった自転車や遺体のDNAから、25日、京都市在住の59歳男性と判明、現場の状況から自殺とみられます」

実はこの男性は、3月の研修旅行にも同行していた同志社国際高校の現職教論であった。(記事を一部抜粋)

いったい、この学校で何が起きていたのか。

報道によれば、亡くなった教諭は事故後、

「事故が起きたのは自分のせいだ」

と自らを責め、「生徒に謝罪したい」と周囲に相談していたという。

さらに学校関係者の証言として、精神的に疲弊した教諭が前校長(西田喜久夫校長は8月31付で解任)に~「休職させてほしい」~と申し出たものの、調査中であることなどを理由に「8月いっぱいは待ってほしい」と引き止められたとも報じられている。

これが事実ならば、学校側に問いたい。

なぜ、休ませなかったのか。

事故の調査が大切なのは当然だ。

しかし、人の命より優先される「調査」などあるのだろうか。

休職を申し出るほど追い詰められていた教員に必要だったのは、「もう少し頑張ってくれ」ではなく、まず現場から離し、専門家につなぎ、休ませることではなかったのか。

もちろん、今回の死と3月の事故、あるいは学校側の対応との因果関係を外部から断定することはできない。

だからこそ、学校には説明してもらいたい。

本当に休職の申し出はあったのか。
学校はそのSOSをどう受け止めたのか。
どのような心のケアを行っていたのか。
そして、なぜこの悲劇を防げなかったのか。

一人の生徒が亡くなり、事故に関わった一人の教員も亡くなった。

亡くなった教諭が最後に何を考えていたのか。それは本人にしか分からない。

だから憶測で死の理由を決めつけてはいけない。

しかし、もし「休ませてほしい」というSOSが本当に発せられていたのであれば、その声を組織がどう扱ったのかは別問題だ。

学校法人同志社には、曖昧な説明で終わらせず、事実を明らかにしてほしい。

「休ませてほしい」――。

もしその言葉が本当に発せられていたのなら、それは単なる希望ではない。

命を守るために、組織が立ち止まるべきサインだったのではないだろうか。

もう隠蔽は止めよと強く言いたい。

合掌。

347回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~ついにきた~あの「めまい」が(;^_^A

こんにちは管理人のみつまめです。

毎日のブログを更新と心がけているつもりのみつまめ。

しかし土曜日の明け方から、少し体の異変が(;^_^A

以前のブログでも少しお伝えした、めまい症、つまり、頭位性めまい症という爆弾を持つみつまめ。

恐怖のグルグルがやってきた!~頭位性めまい症との葛藤日記(みつまめの土曜日の朝)

みつまめは、朝起きるときに必ず考えることがある。

「今日は……大丈夫か?」

仕事のことでもない。
財布の中身でもない。
今日の天気でもない。

めまいである。

頭位性めまい症に悩まされるようになってからというもの数十年、朝、目を覚まして体を起こす瞬間がちょっとした「運試し」になってしまっているみつまめ。

目が覚める。
天井を見る。
そーっと頭を動かす。

「よし、今日は大丈夫そうだ……」

こんな確認を、みつまめは、ほぼ毎朝やっている。

もう習慣だ(;^_^A

そもそも、なぜグルグル回るのか?

一般に「良性発作性頭位めまい症(BPPV)」と呼ばれるものは、耳の奥にある「耳石」が本来ある場所からはがれ、三半規管に入り込むことなどによって起こると考えられている。

三半規管は、体がどちらに動いているのかを脳に伝える、いわば人間の「水平器」のようなもの。

ところが、そこへ迷子になった耳石が入り込む。

寝返りを打つ。
頭を起こす。
振り向く。

すると耳石が動き、三半規管が刺激される。

脳は、

「大変だ!体がものすごく動いているぞ!」

と勘違いする。

しかし実際には、こちらは布団の上。

その結果、

天井が回る。部屋が回る。世界が回る。

本人だけは、回っていない。

実に迷惑な話である。

未だにそのメカニズムは理解できない(;^_^A

そして土曜日の朝~ついに来た(;^_^A

そんな恐れていた朝、いや夜明け前、とうとうやってきた。

土曜日。

目を覚まし、いつものように頭を動かした、その瞬間。

グルグルグル~~~!

「来たぁぁぁぁ……」(;^_^A

目が回る。
頭も回る。
天井まで回っているように感じる。

こういうとき、人間が最初に考えることは単純だ。

「もう一回寝よう」

布団に戻り、目を閉じ、すべてをなかったことにしたい。

しかしみつまめには、これまで数十年間の経験がある。

ここで寝てしまったら、なかなか起きられなくなる。

ならば――。

起きるしかない!

心を鬼にして、起床!

本音を言えば寝ていたい。

しかし、

「負けるな自分!」

「起きろ自分!」

「ここで布団に戻ったら今日一日が終わるぞ!」

誰も応援してくれないので、自分で自分を励ます。

そして意を決して、

えいやっ!

と起き上がった。

実は妻の手助けがある。

もちろん元気いっぱいに活動できるわけではない。

そのままソファへ移動。

この日の活動範囲は、ほぼソファ周辺である。

テレビを見る。

横になりすぎない。

無理もしない。

時々そーっと頭を動かして、

「おっ、大丈夫か?」

またしばらくして、

「まだ回るか?」

そんなことを繰り返しながら、ソファで一日を過ごした。

傍から見れば、単なる「休日のお父さん」である。

しかし本人としては、

めまいとの壮絶な戦いの真っ最中なのである!

そして~復活!~

時間がたつにつれ、あの嫌なグルグル感が少しずつ落ち着いてきた。

そして翌朝。

目を覚ます。

問題はここからだ。

そーっと頭を動かす。

回らない。

もう一度動かす。

回らない!

「おおおっ、復活したぞみつまめ!」

たったそれだけのことなのに、普通に起きられることがこんなにもありがたい。

めまいを経験した人なら、この気持ちはきっと分かっていただけると思う。

「普通に起きられる朝」は、実にありがたい

頭位性めまい症は、経験したことのない人にはなかなか説明しにくい。

「ちょっと目が回るだけでしょ?」

いやいや。

あの突然世界がグルグル回り始める感覚は、なかなかの恐怖である。

しかも一度経験すると、

「また来るんじゃないか?」

という心配までセットで付いてくる。

だから、みつまめは明日の朝も、きっと目覚めた瞬間に考える。

「今日は大丈夫か?」

そーっと頭を動かす。

グルグルしない。

そして思うのである。

よし!今日も一日始められるぞ。

めまいに悩んでいる皆さん。

あのグルグルの恐怖、よ~く分かりますよね。

ただし、めまいには頭位性めまい症以外にもさまざまな原因があるようだ。

激しい頭痛、ろれつが回らない、手足のしびれや麻痺、物が二重に見える、歩けないほどのふらつきなどを伴う場合や、いつもと違う強い症状がある場合には、「いつものめまい」と決めつけず、早めに医療機関へ。

そしてみつまめまた、次の朝を迎える。

目を覚まし、天井を見て――

そーっと頭を動かす。

「頼むぞ耳石君。今日は余計なところへ行くんじゃないぞ!」

みつまめと耳石との静かな戦いは、これからも続くのである。

そして今朝、無事に愛犬Mくんとの散歩を終えたのだ(@^^)/~~~

★ほんとにふしぎな病気だ(;^_^A

346回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~葛根廟事件の事、知ってますか?

こんにちは管理人のみつまめです。

昨日の産経新聞朝刊で、今になって知った「葛根廟(かっこんびょう)事件」。

あまりにも痛ましい史実があったこと。みつまめの知識のなさに愕然としたと共に胸が締めつけられるような衝撃を覚えた。

少し調べてみたので、記録と共に、皆さんにも知ってほしい気持ちになった。

戦争については、広島・長崎への原爆投下、沖縄戦、東京大空襲、そして満州からの引き揚げなど、これまでにもさまざまな歴史を見聞きし、戦争の本も沢山読んできた。

しかし、終戦を迎えるわずか前日、満州で多くの日本人避難民が犠牲となった「葛根廟事件」については、恥ずかしながら、これまで何も知らなかった。

なぜ、これほど痛ましい出来事を知らずにいたのだろう。

そもそも、なぜ満州に多くの日本人がいたのか

事件を理解するには、まず当時の満州について知っておく必要がある。

1931年の満州事変を経て、翌1932年、日本の強い影響下で「満州国」が建国された。

その後、日本政府は満州への移住を推進し、「満蒙開拓団」などとして多くの日本人が海を渡った。

農業に従事する人、鉄道や企業で働く人、その家族等々。

終戦時には満州に非常に多くの日本人が暮らしていた。

もちろん、その背景には日本による中国大陸への進出と支配があり、現地の中国人との土地をめぐる問題など、決して無視することのできない歴史もあった。

しかし、そこで暮らしていたすべての人が政策を決めたわけではない。

多くの女性や子どもたちは、家族とともに日々の生活を送っていた普通の民間人だった。

その日常が1945年8月、突然崩壊する。

1945年8月9日~ソ連軍が満州へ~

当時、日本とソ連の間には「日ソ中立条約」が存在していた。

ところがヨーロッパでドイツが降伏した後、ソ連はヤルタ会談での対日参戦に関する秘密協定を背景に、日本との中立条約を延長しないことを通告していた。

そして1945年8月8日、ソ連は日本に宣戦布告。

翌9日、ソ連軍は満州などへ大規模な攻勢を開始した。

圧倒的な戦力を持つソ連軍の侵攻によって、満州各地は大混乱に陥った。

そして、その混乱の中に取り残されたのが、日本人の民間人だった。

女性や子どもたちの逃避行

ソ連軍の侵攻を知った人々は、安全な場所を求めて避難を始めた。

しかし、それは現在のような整然とした避難などではないだろう。

交通手段も限られ、十分な食料もない。

高齢者もいる。

幼い子どもを連れた母親もいる。

どこまで逃げれば助かるのかさえ分からない。

そんな極限状態での逃避行だった。

そして1945年8月14日。

現在の中国・内モンゴル自治区にあたる葛根廟付近を移動していた日本人避難民の一団が、ソ連軍部隊と遭遇する。

避難民の多くは女性、子ども、高齢者などの民間人だったようだ。

そこへ戦車や機関銃などによる攻撃が加えられ、多数の人々が命を落とした。

犠牲者数については資料によって差があるものの、一般に千人を超える人々が犠牲になったと伝えられている。

これが「葛根廟事件」である。

そして、その翌日が「終戦の日」だった

事件が起きたのは、1945年8月14日

そして日本がポツダム宣言受諾を国民に知らせた玉音放送が行われたのは、

翌8月15日。

わずか一日の差。もちろん歴史に「もし」はない。

しかし、

「あと一日だったのに・・・」

そう考えずにはいられない。

もちろん、8月15日を境に満州の混乱が直ちに終わったわけではない。

その後もソ連軍の進撃は続き、満州に残された日本人たちは、飢え、病気、暴力、家族との離別など、過酷な状況にさらされた。

終戦は、日本国内にいた人々にとって「戦争が終わった日」だった。

しかし海外に取り残された人々にとっては、8月15日を迎えてもなお、「生きて日本へ帰るための戦い」が続いていたのである。

国策と戦争のツケを背負わされた民間人

満州の歴史を語る際、日本による中国大陸への侵略や植民地的支配の側面を無視することはできない。

日本が戦争によって中国をはじめアジアの人々に多大な被害を与えたことも、歴史として直視しなければならない。

しかし、それと葛根廟で民間人が犠牲になったことは別の問題だ。

国家間にどのような事情があろうとも、女性や子どもを含む民間人の命が奪われた悲劇まで正当化されるものではない。

戦争というものは、最後には国の政策を決めた人間ではなく、何の力も持たない普通の人々に最も重い代償を払わせる。

葛根廟事件は、その残酷な現実を私たちに突きつけているように思う。

「葛根廟事件」~1945年8月14日~。

このブログを読んでくださっている皆さんにも、この名前と出来事を知っていただきたい。

そして初めて知ったという方には、ぜひ家族や次の世代にも伝えてほしい。

戦争を経験した人がいなくなっても、歴史まで消してはいけない。

忘れないこと。

知ること。

そして語り継ぐこと。

それこそが、同じ悲劇を二度と繰り返さないために、今を生きる私たちができることだと思う。

葛根廟で命を奪われた多くの方々に、改めて心から哀悼の意を表したい。

★けっしてあの痛ましく残酷な戦争は2度と起こしてはいけない。 合掌。