405回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~サイバーテロの脅威(;^_^A

こんにちは管理人のみつまめです。

もはやサイバーテロ!GMO不正アクセス問題が突きつけた企業の危機管理の甘さ

そして、、、~終わりなきサイバー攻撃、明日は我が身という危機感を持て!~

最近、企業を狙った不正アクセスやサイバー攻撃のニュースが後を絶たない。

もはや単なる不正アクセスという言葉では片付けられない。これは社会全体を脅かす「サイバーテロ」とみつまめは勝手に呼び、まれにない深刻な事態だと多くの方が思っていることだろう(;^_^A。

今回、みつまめが特に問題視しているのが、GMOインターネットグループを襲った大規模なサイバー攻撃だ。

同社が提供する「お名前.com デスクトップクラウド」が不正アクセスを受け、影響の可能性があるサーバーは最大2万6739台に上るという。さらに、利用者の金融取引口座で不正な操作が行われたとの報告まで出ている。

そして驚くべきことに、今回の問題では、約2年前からグループ内の専門家によってシステムの脆弱性が指摘されていたにもかかわらず、その対応が不十分だったことが明らかになった。

えって感じだ(;^_^A

これは一体どういうことなのだろうか。

もちろん、最大の責任は卑劣な攻撃を仕掛けた犯罪者側にある。それは言うまでもない。

しかし、インターネットを通じて数多くのサービスを提供し、利用者の大切な情報を預かる企業として、GMOの危機管理体制はあまりにも甘かったと言わざるを得ない。

危険性を知らなかったのではない。危険性を指摘されながら、十分な対策を講じられなかった。

ここに今回の問題の本質があるように思えてならない。

11月2日には熊谷正寿社長らが記者会見で謝罪し、役員報酬の減額も発表された。

だが、報酬を減額したからといって失われた信頼が簡単に戻るわけではない。

利用者が求めているのは謝罪の言葉だけではなく、二度と同じ被害を繰り返さないための具体的な行動ではないだろうか。

そもそも、現代社会はインターネットなしでは成り立たない。

銀行、証券、病院、交通機関、物流、行政サービス、、、

私たちの日常生活のあらゆる場面がネットワークでつながっている。

便利になればなるほど、その裏側には大きな危険が潜んでいるということを忘れてはならない。

仮に電力や交通、医療などの重要な社会インフラが大規模なサイバー攻撃を受ければ、単なる企業の損失では済まされない。人々の生活、場合によっては生命にまで影響を及ぼしかねないのだ。

恐ろしい時代になったものである。(;^_^A

そして、ここで一つ考えなければならないことがある。

サイバー攻撃への対策には、果たして終わりがあるのだろうか。

答えは、おそらく「ない」。

企業が新しい防御システムを導入すれば、攻撃者はその防御を突破する新たな手口を考える。

さらにAI技術の進歩によって、攻撃の手法は今後ますます巧妙化していくことも懸念される。

まさに、攻撃する側と守る側の終わりなき戦いである。

だからといって、対策を諦めるわけにはいかない。

むしろ、終わりがないからこそ、今。できることを一つずつ確実に実行していくしかないのだ。

システムの脆弱性を放置しないこと。日頃から監視体制を強化すること。万が一の被害を想定した訓練を繰り返すこと。そして、経営陣自らがサイバー攻撃を企業存続に関わる重大なリスクとして認識すること。

これらは、もはや一部の技術者だけに任せてよい問題ではない。

企業のトップが率先して取り組まなければ、本当の意味での危機管理など実現できないだろう。

また、私たち一般利用者も決して他人事ではない。

パスワードの使い回しを避ける、多要素認証を設定する、不審なメールやリンクを開かない、金融口座の取引履歴を確認する。

こうした小さな備えの積み重ねが、自分自身や家族を守ることにつながるのである。

みつまめが務める会社でも、今まで、できる範囲で、対策を強化し、その繰り返しだ。

今回のGMOの問題は、決して一企業だけの失態として終わらせてはならない。

日本中の企業がこの出来事を教訓として、自社のセキュリティ体制を改めて点検する必要がある。

そして国も、企業任せにするのではなく、官民一体となった防御体制をさらに強化していくべきではないだろうか。

「うちは大丈夫」「まさか自分の会社が狙われるはずがない」

そんな根拠のない安心感こそが、最も危険なのかもしれない。

サイバー攻撃は、いつ、どこで、誰が標的になるのか分からない。

まさに明日は我が身である。

みつまめは思う。

どれほど優れた技術を持っていても、最後に企業の安全を左右するのは、それを扱う人間の危機意識ではないだろうか。

「備えあれば憂いなし」

昔から伝わるこの言葉が、これほど重く感じられる時代もない。

サイバー攻撃との戦いに終わりは見えない。

しかし、だからこそ今できる最大限の備えを怠ってはならない。

被害が起きてから後悔するのでは遅いのだ。

今回のGMOの事件を、日本社会全体が危機管理のあり方を見直す大きな転機にしてほしいと、みつまめは強く願い、まさに教訓を突きつけられた。

皆さんは、この終わりなきサイバー攻撃の脅威に、私たちはどう立ち向かうべきだとお考えだろうか。

まさに「言うが易く行うは難く」だ(;^_^A

★まるで「モグラ叩きだ」(;^_^A

404回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~山澤礼明IFBBプロカード獲得ならず、残念(;^_^A

こんにちは管理人のみつまめです。

それでも挑戦し続ける「山澤氏」に拍手を送りたい!

~勝負の世界は厳しい!彫刻のような肉体美の裏に隠された努力と覚悟~

みつまめが今でも筋トレを続けられているのは、ある意味、この山澤氏のおかげと言っても過言ではない。

その人物こそ、YouTubeの筋トレ動画でおなじみの山澤礼明(やまさわひろあき)氏だ。

筋トレに関する知識やトレーニング方法、食生活に至るまで、YouTubeを通じて数多くのヒントをいただいてきた。

そして何より、みつまめが現在通っているジム「FIT PLACE」を全国に展開し、誰もが手頃な価格で本格的な筋トレに取り組める環境を広げてきた、まさにフィットネス業界の革命家ともいえる存在だ。

さらに、みつまめが今でも愛飲しているプロテイン「RAYS」の開発にも携わり、手頃な価格と抜群の美味しさを追求してきた人物でもある。

そんな山澤氏が、なんと今年2回目の大会に出場。

今年1回目の挑戦は、8月11日に開催されたビーフ佐々木クラシック、メンズフィジークの結果は4位、この時も誰もが優勝の文字がちらついたはずだ(;^_^A

しかし残念だった。

そして今年2回目の大会、4年ぶりに挑戦したのは「アマチュアオリンピア」のメンズフィジーク・オープンクラスA。

目指すは、長年の悲願であるIFBBプロカードの獲得!

しかし、その結果は……。

惜しくも第2位!

えっ、、、今回は誰もが優勝と思ったほど最高の肉体美を作り上げていた。

あと一歩、あと一歩のところで悲願のプロカードには手が届かなかったのである。

いや~、残念でならない。(;^_^A

大会に向けて鍛え抜かれたその肉体は、まさに彫刻そのもの。

見事に発達した肩、胸、背中、そして無駄な脂肪を極限まで削ぎ落とした腹筋。

素人のみつまめからすれば、これ以上どこを鍛えればよいのかと思うほどの完成度であった。

正直、優勝を確信していたファンも少なくなかったのではないだろうか。

しかし、そこは勝負の世界。

上には上がいる。

どれだけ努力を重ねても、どれほど自分自身を追い込んでも、必ずしも結果がついてくるとは限らない。

これが競技の厳しさであり、勝負の世界の現実なのだろう。

だが、みつまめが今回、何よりも伝えたいことがある。

それは、あの肉体美が一朝一夕で作られたものではないということだ。

大会のステージに立つまでの長い道のり。

日々の厳しいトレーニングはもちろん、何か月にもわたる食事管理と減量生活。

食べたいものを自由に食べられない。

空腹に耐えながら、摂取するカロリーや栄養バランスを管理し、筋肉をできる限り維持しながら体脂肪を落としていく。

しかも山澤氏は、ジムの経営やプロテイン事業、YouTubeでの活動など、多忙な日々を送りながらの挑戦である。

どれほど強い精神力と覚悟が必要だったことだろう。

みつまめ自身、現在、健康のために食事制限を続けているが、正直なところ、腹が減って仕方がない日もある。(;^_^A

それでも山澤氏のような競技者が取り組む減量生活と比べれば、みつまめの苦労など足元にも及ばないだろう。

だからこそ、あのステージで披露された肉体美には、単なる筋肉の大きさや美しさだけではなく、積み重ねてきた努力、我慢、苦悩、そして夢への執念が刻み込まれているように思えてならない。

そして、もう一つ。

今回の結果を受けても、山澤氏は諦めることなく、来年も再び挑戦することを誓ったという。

これには心から拍手を送りたい!

人生、何事も挑戦することに意味がある。

しかし、挑戦して敗れた後、もう一度立ち上がることは、言葉で言うほど簡単なことではない。

ましてや、長い時間をかけて心身を極限まで追い込み、それでも目標に届かなかった悔しさは、本人にしか分からないだろう。

それでも前を向く。

再び夢を追いかける。

この諦めない姿勢こそが、山澤礼明という男の本当の強さではないだろうか。

今回の2位は、決して無駄な結果ではない。

むしろ、次なる挑戦への大きな一歩だと信じたい。

そして、みつまめのように山澤氏の動画を見て筋トレを始めたり、今も継続できていたりする人間が全国にどれほどいることだろう。

競技の結果だけでは測れない、大きな功績がそこにはある。

山澤さん!

今回の挑戦、本当にお疲れさまでした。

そして、たくさんの感動と勇気をありがとうございました。

来年こそは悲願のIFBBプロカードを手にし、最高の笑顔でステージに立つ姿を見せてください!

みつまめも、FIT PLACEで汗を流し、RAYSのプロテインを飲みながら、これからも筋トレを続けていくからね(@^^)/~~~。

勝負には敗れても、挑戦する心は決して敗れていない。

山澤礼明、次こそ頂点へ!

全国の山澤ファンの皆さん、これからも一緒に応援していこうではありませんか!

頑張れ、山澤礼明!来年こそ、悲願のIFBBプロカードをその手に!

★この感動的な結果はYoutubeで公開されているよ~みつまめも涙があふれるほど感動した(@^^)/~~~

403回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~7ヶ月半という沈黙の疑問、、、

こんにちは管理人のみつまめです。

辺野古沖転覆事故、いや事件だ。

幾度となくみつまめは、学校法人同志社に対し苦言を呈してきた。

辺野古転覆事件から、なんと7か月半後の10月30日、同志社理事長、八田英二氏からの初謝罪があった!

あまりにも遅すぎる。

これが大学の教育者の責任の取り方なのか!

世間の考えと相当ズレている。

5時間という長丁場の会見だったが、ネットでは一部、理事長の心もとない表情が取りざたされている。

えっ、なんで今ごろ、7ヶ月半も空白にしていたの、なぜ初めての謝罪なのか!?

思わず耳を疑った。

みつまめは率直に、何回でも苦言を申し上げる。

遅すぎる!あまりにも遅すぎるではないか!

もちろん、謝罪すること自体は当然である。しかし、一人の尊い高校生の命が失われた重大事件であることを、全く学校側は重く感じていない。

なぜ、法人の最高責任者が自ら公の場に立ち、説明するまで7か月半もの時間を必要としたのだろうか。

会見では、事故原因の検証や再発防止策の取りまとめに時間を要したと説明したという。

しかし、それと謝罪や説明責任を果たすことは別問題ではないだろうか。

調査結果がまとまらなければ謝罪できないのか。改善策が完成しなければ、社会に向けて説明できないのか。

八田理事長は、この遅すぎた理由をこう述べている。

「教育の中立性を検証する検討委員会の結果を待ってから説明する予定だった」と言い逃ればかりの釈明ばかりだったという。

なぜ自ら率先し検証の場にたたないのか、他人ばかりへ責任を押し付け、自らが先頭になり時間軸にともない事実だけの説明をはたせなかったのか。

ご遺族が知りたい情報をなぜ、真摯に向き合い答えなかったのか。

もうありとあらゆることが、めちゃめくちゃで、遺族の方に寄り添う気持ちを全く考えていないように見えてしまう。

みつまめには、どうしても理解できない。

そして何回でも問う、 平和学習の名のもとに、なぜ生徒を抗議船に乗せたのか

今回の事故で、絶対に見過ごすことのできない重大な問題がある。

そもそも論だ。

生徒たちが乗船していたのが、一般的な観光船ではなく、米軍基地移設に反対する活動で使用されていた、いわゆる「抗議船」だったという事実だ。

平和を学ぶことは大切である。戦争の悲惨さを知り、命の尊さを学ぶことに異論はない。

しかし、教育とは、さまざまな立場や考え方を知り、生徒自身が判断する力を育てるものではないだろうか。

今回、八田理事長自身も、平和学習の中立性に問題があったとの認識を示した。

それならば、なおさら問いたい。

なぜ、学校は政治的な抗議活動に使用される船に生徒を乗せる必要があったのか。なぜ誰も止めることができなかったのか

しかも第三者委員会の調査では、教員による事前の航路の下見が行われていなかったことなど、安全管理上の重大な不備が指摘されている。

平和を教えるはずの教育現場で、何よりも守らなければならない生徒の命が守られなかった。

これほど悲しく、皮肉なことがあるだろうか。

さらに、みつまめが疑問を感じたのは責任の取り方である。

八田理事長は、今後の検証や改善計画について説明責任を果たした後、理事長を辞任する意向を示した。

ところが、なんと総長と理事の職には当面とどまるという。

えっ、それで責任を取ったことになるのだろうか。

もちろん、役職ごとに職務や責任の範囲が異なることは理解できる。

しかし、学校法人の最高責任者として重大事故を防げなかったことを認めながら、別の要職にはとどまるという判断に、世間は納得できるだろうか。

責任を取るとは、単に肩書を一つ返上することではないはずだ。

なぜ事故が起きたのか。誰が安全確認を怠ったのか。組織のどこに問題があったのか。

そして、誰がどのような責任を負うのか。

それらを明らかにしてこそ、本当の意味での説明責任ではないだろうか。

誰も責任をとらない、そのものの学校の体質がまかり通ってきたのだろう。

ご遺族の方のこれまでの7か月半は、二度と戻らない時間だ。

そして、今回の報道で最も胸が痛んだのは、ご遺族の思いである。

武石知華さんのご両親は、今回の会見を受けて「言いようのない違和感を覚えた。その原因は内容もさることながら、根本的にはこれまでの沈黙にあると感じる。そのときどきに語るからこそ、伝わる気持ちや誠実さもあったのではないかと思う」とコメントされたという。

ご遺族が11月1日、公開されたnoteには、会見の節目はいくつもあったと示されている。

以下、noteの一部を抜粋させていただいた。

節目はいくつもありました
社会に対して説明すべき節目は、いくつもありました。

3月、特別調査委員会の設置を決めたとき。
5月、文部科学省が見解を示したとき。
7月、私たちが刑事告訴を行い、学校が家宅捜索を受けたとき。
7月末、調査報告書を受け取ったとき。
9月、教育の検証を外部の委員会に委ねると決めたとき。

とnoteには綴られている。

誰がみても不信感は宿る。

いくつもの会見の節目があったものの、なぜか理事長の会見はなかったのか。

ということは真摯にことの重大さに責任を取る形で代表の理事長は謝罪すべきだった。

あまりにも遅すぎた対応だった。

第三者委員会が指摘した安全管理の不備、組織としての危機管理意識の欠如、そして事故後の説明の遅れ。

これらは一つ一つ、厳しく検証されなければならない問題だ。

みつまめは、学校法人同志社に強く申し上げたい。

謝罪は終着点ではない。責任を果たすための出発点である。

そして何より、ご遺族の声に真摯に耳を傾けていただきたい。

失われた命は、どれだけ頭を下げても、どれだけ立派な再発防止策を並べても、二度と戻ってこない。

だからこそ、曖昧な幕引きだけは絶対にあってはならないと、みつまめは強く思う。

「7か月半後の初謝罪」~その重さを、私たちはどう受け止めるべきなのだろうか~。

そして、皆さんに問いかけたい。

これが本当に、子供たちの命を預かる教育機関の責任の取り方なのだろうか。

いや教育者以前に、人としてどうなのかを疑ってしまう。

11月1日に公開された、ご遺族のnoteには最後にこう綴られている。

「説明責任を果たすとはどういうことか。学校法人と学校には、これまでの7か月半を振り返って、もう一度真剣に考えてほしいと思っています。この会見が区切りではなく、説明の再開点になることを願っています。」

と締め括られている。

ご遺族が疑問視する「なぜ」を一日も早く答えを出さなければいけない。

そして、ご遺族による刑事訴訟の対象者11名は1日も早く法の裁きを受け罪を受けなければいけない、誰も責任をとらないことだけは決して許してはならない。

★沈黙7ヶ月半「不信増幅」した会見だった、、、

402回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~「VIVANT」日本のドラマを批判する中国。えって感じ、、、

こんにちは管理人のみつまめです。

「おまえが言うな!」中国が日本のドラマ『VIVANT』を批判!終戦81年、いつまで反日を続けるのか?

いやはや、またしても中国から耳を疑うような日本批判が飛び込んできた(;^_^A

今、ネット上で話題となっているのが、TBS系ドラマ『VIVANT』をめぐる中国側の反応だ。

自衛隊の秘密情報組織とされる「別班」を題材にした日本の人気ドラマに対し、中国外務省の郭嘉昆報道官が10月29日の記者会見で批判したという。

報道によれば、日本国内には文化コンテンツを利用して中国を悪く描き、嫌中感情を広めようとする勢力が存在すると主張したらしい。

えっ……なんで???!

みつまめは思わず新聞を二度見してしまった。

もちろんみつまめが愛読している産経新聞に掲載された記事だ、、、

「おまえが言うな!」と叫びたくなったのは、みつまめだけだろうか。

中国では長年にわたり、学校教育や映画、テレビドラマなどで日本の過去の戦争行為が繰り返し取り上げられてきた。

もちろん、日本が過去の歴史に向き合うことは大切だ。歴史上の事実まで否定するつもりは毛頭ない。

しかし、歴史を学ぶことと、現代の日本や日本人に対する敵意を育てることは、まったく別の話ではないだろうか。

中国は自ら、日本を批判する映像作品を制作しながら、日本のフィクション作品には政治的な意図があると決めつける。

今回だけではないが、これでは、あまりにも一方的な物差しではないか!

そして今度は、なんと「ハローキティ」まで批判の対象に?

もうめちゃめちゃだ(;^_^A

『VIVANT』とのコラボレーション商品を展開するサンリオに対しても、中国共産党機関紙・人民日報系のメディアが批判を展開したという。

報道では「日本の右翼とともに踊るべきではない」といった表現まで飛び出したらしい。

いやはや、今度はハローキティまで政治問題に巻き込むのか!

世界中の子供から大人まで愛されるキャラクターに、いったい何の罪があるというのだろう。

サンリオ側も企業理念にそぐわない表現があったとして謝罪したと報じられているが、企業としては何とも難しい立場に置かれたものだ。

本来、ドラマはドラマ、キャラクターはキャラクター。

政治的な思惑とは切り離して、純粋に文化や娯楽として楽しむことができないものだろうか。

中国政府は、いつまで、なぜそこまで日本を批判するのか?

みつまめには、どうにも理解できない。

中国政府は、なぜこれほどまでに日本の文化や言動に敏感に反応するのだろう。

もちろん、その背景には日中間の歴史問題や外交上の対立があるのだろう。

しかし、もう一つ考えられるのは、国内向けの政治的な思惑である。

日本に厳しい姿勢を見せることで、国民の愛国心に訴え、政府の正当性を強調する。

さらに、習近平国家主席の掲げる政治路線に忠実であることを示したいという思惑もあるのではないか。

無論、今回の発言が実際にそのような動機によるものかは分からない。

だが、外国への批判を繰り返すことで国内の結束を図る政治手法があるとすれば、みつまめは大いに疑問を感じる。

政治家のための愛国心なのか。それとも本当に国民の幸せを願ってのことなのか。

国を愛する気持ちは大切だ。

しかし、自分の国を愛するために、他国を嫌わなければならない理由など、どこにもないはずだ。

終戦から81年、もう憎しみを次の世代に引き継ぐのはもうやめましょうよ、、、って声を大にしていいたい。

今年2026年は、1945年の終戦から81年となる。

あの悲惨な戦争を経験した世代は年々少なくなり、戦争を知らない世代が社会の中心となっている。

日本も中国も、あの時代に多くの人々が苦しみ、尊い命が失われた。

だからこそ、その歴史を忘れてはならない。

しかし、歴史を忘れないことと、憎しみを受け継ぐことは違う。

81年前の戦争の責任を、今を生きる何の罪もない若い世代にまで背負わせ続けることが、本当に平和につながるのだろうか。

中国にも日本のアニメや音楽、食文化を愛する人々がいる。

日本にも中国の長い歴史や文化を尊重し、中国の人々と友好を深めたいと願う人々が大勢いる。

政治的な対立があっても、国民同士まで憎み合う必要はない。

むしろ、文化こそが国境を越えて人と人を結びつける架け橋になるはずではないか。

批判する前に、まず自分たちの姿勢を振り返ってほしい

日本のドラマを批判する自由が中国側にあるのなら、日本側にも中国政府の姿勢を批判する自由がある。

それが本来の言論のあり方だと思う。

しかし、自国に都合のよい表現は認め、気に入らない外国の表現には政治的なレッテルを貼る。

そんな姿勢が続く限り、互いの理解が深まるとは到底思えない。

中国政府には、他国の文化を批判する前に、自らの言論や表現に対する姿勢を振り返っていただきたいものだ。

大国としての本当の品格とは、相手を威圧することではなく、異なる価値観を認める懐の深さにあるのではないだろうか。

最後に、みつまめから何回も言うよ、、、

「おまえが言うな!」

皆さんは今回の中国側の日本批判、どうお考えだろうか。

みつまめは、どうにも腑に落ちないのである(;^_^A

★ハローキティちゃんも大変だ(;^_^A

401回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~社会人野球日本選手権第一回戦を観戦してきた(@^^)/~~~

こんにちは管理人のみつまめです。

やっぱり野球は生観戦に限る! 社会人野球日本選手権、トヨタ自動車の熱き戦い!

10月31日、京セラドーム大阪。

社会人野球の日本一を決める「第51回社会人野球日本選手権大会」が開幕した!

全国から集結した精鋭32チームが、社会人野球最強の称号を懸けて熱い戦いを繰り広げる。

みつまめも、息子と一緒に、この日を楽しみに京セラドームへ足を運んだ(^^♪

お目当ては、もちろん応援するトヨタ自動車VS SUBARUの1回戦だ!

結果から言えば、トヨタ自動車は2対8で惜しくも敗退。

いや~、悔しい!(;^_^A

しかし、やはり野球はテレビで見るのと現地で観戦するのとでは、まったく別物だと改めて実感した。

グラウンドに漂う独特の緊張感、選手たちの一挙手一投足、そして何よりスタンドから響き渡る応援団の声援と音楽隊の迫力ある演奏!

太鼓の音、楽器の響き、声を合わせた応援メッセージ。

これらが一体となってドーム全体を包み込み、観客の心を揺さぶるのである。

これこそが社会人野球の醍醐味なのだ!

試合は序盤からSUBARUがリードする展開。

しかし、トヨタも黙ってはいない。

4回、待望のホームランが飛び出し、スコアは2対3!

その瞬間、トヨタの応援席は最高潮に達した!

「よっしゃ~! ここから逆転だ!」

みつまめも思わず立ち上がるほど興奮し、声を嗄らしながら声援を送った。

たった一振りのバットが、それまでの試合の空気を一変させる。

そして打感の響く音がまた気持ちいい(@^^)/~~~

これだから野球は面白い!

しかし、勝負の世界はそう甘くはなかった。

終盤、SUBARUの打線が爆発し、7回に2点、8回にはさらに3点を追加された(;^_^A。

終わってみれば2対8という結果になってしまった。

スコアだけを見れば6点差の完敗である。

しかし、あの2対3まで追い上げた瞬間の興奮は、現地で声援を送った者にしか味わえない感動だった。

勝ったチームには歓喜があり、敗れたチームには悔しさが残る。

だが、そのどちらにも共通しているものがある。

それは、一球に懸ける選手たちの情熱と、その選手たちを信じて応援する人々の熱い思いである。

プロ野球とはまた違った魅力を持つ社会人野球。

企業の名誉と誇りを背負い、仲間とともに頂点を目指す選手たちの姿には、胸を打たれるものがある。

そして、もう一つ。

応援団や音楽隊の皆さんにも拍手を送りたい。

グラウンドで戦う選手たちだけが主役ではない。

スタンドで声を張り上げ、音楽を奏で、チームを鼓舞する人々もまた、この大会を盛り上げる大切な主役なのだ。

残念ながら、みつまめが応援したトヨタ自動車の日本一への夢は初戦で幕を閉じた。

それでも、わざわざ京セラドームまで足を運んだ価値は十分にあったと思う。

勝敗は記録に残る。そして、あの日、あの場所で感じた興奮と感動は、いつまでも記憶に残る。

これこそがスポーツの持つ素晴らしさではないだろうか。

勝負には必ず勝ち負けが生まれる。

勝つか負けるか。

トヨタ自動車の選手の皆さん、お疲れさまでした!

そして、勝利したSUBARUには、トヨタの思いも背負って、ぜひ頂点を目指してほしいものだ。

いや~、やっぱり野球は生観戦に限る!

声をからして応援した、みつまめの熱い一日が終わった(^^♪

★生観戦の野球はやはり面白く、応援団との最高の一体感を味わった1日だった(@^^)/~~~

400回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~よくも続いた「400回記念、皆さんに感謝だ(@^^)/~~~

400回の独り言。その一言が、誰かの心に残るなら。

気がつけば、今日、今回で「秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~」も、なんと400回記念を迎えた(@^^)/~~~。

400回かぁ……。

我ながら、よくもまあ、これだけ書き続けてきたものだと、少々自我自賛?いやいや暇かって話になる(;^_^A

政治や社会の出来事に疑問を投げかけ、時には怒り、時には野球に熱くなり、そして何気ない日常の出来事に笑う。

振り返れば、実にまとまりのない雑ブログだ。

しかし、400回という節目を前に、ふと思ったことがある。

人はなぜ、自分の思いを誰かに伝えようとするのだろうか。

世の中には、毎日数えきれないほどの情報があふれている。

昨日の大ニュースも、今日は別のニュースに押し流され、やがて人々の記憶から薄れていく。

あれほど怒った出来事も、あれほど感動した瞬間も、時が過ぎれば忘れられてしまう。

それが世の常なのかもしれない。

けれど、本当にそれでいいのだろうか。

忘れてはいけないことがある。伝え続けなければならないことがある。

大きな事件の陰に埋もれてしまった小さな声。

当たり前だと思っていた日常のありがたさ。

そして、誰かが必死に生きた証し。

そんな出来事に、ほんの少しでも目を向けることができたなら、このブログにも意味があるのかもしれない。

もちろん、みつまめの書いた400回の記事が、世の中を変えるなんて大それたことは思っていない。

そもそも、そんな力があれば、とっくに世の中は変わっているだろう(;^_^A

それでも、読んでくださった誰かが、

「そういう考え方もあるのか」

「自分ならどうするだろう」

あるいは、

「そういえば、そんなこともあったっけ・・・」

と、ほんの一瞬でも立ち止まってくれたなら、それだけで十分なのではないだろうか。

人の記憶は不思議なものだ。

何百ページも読んだ本の内容は忘れてしまうのに、何十年も前に誰かから言われた、たった一言が心に残っていることがある。

その一言に励まされたり、考え方が変わったり、時には人生の道しるべになったりする。

言葉の価値は、長さでも数でもない。誰かの心に何を残せるか、なのかもしれない。

400回という数字は、ひとつの区切りではある。

しかし、大切なのは400回書いたという事実より、その中に何かひとつでも、誰かの心に残る言葉があったかどうかだと思う。

そして、もうひとつ。

ブログを書きながら、実は一番考えさせられてきたのは、書いているみつまめ自身だったのかもしれない。

世の中の出来事を知り、疑問を持ち、調べ、考え、自分なりの言葉にする。

その繰り返しが、いつの間にか自分自身を見つめ直す時間にもなっていた。

そう考えると、400回は単なる記事の数ではなく、400回立ち止まって考えた記録でもある。

さて、この先500回、600回と続くかどうかは分からない。

相変わらず世の中には不可解なことが多く、野球は思いどおりにならず、日常には小さな発見が転がっている。

どうやら、書く材料だけは尽きそうにない(;^_^A

最後に、このブログを訪れてくださる皆さんへ。

数あるブログの中から、この小さな「まめ園」に立ち寄っていただき、本当にありがとうございます。

400回書いたことよりも、400回の中で誰かと同じ思いを共有できたこと。

それこそが、みつまめにとって何よりの喜びなのだと思う。

そして、これからも忘れずにいたい。

たった一人でもいい。誰かの心に何かを残せる言葉を書いていきたい。

そんな思いを胸に、また明日から、みつまめの独り言は続いていく。

人生もブログも、まだまだ道半ば。

これからも「秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~」をよろしくお願いします。

今朝も起きると鎖骨と大胸筋周辺がみしみしと痛みを感じたからね(@^^)/~~~

やはり筋トレは面白いよ~(@^^)/~~~

次回も乞うご期待~

じゃ~またね、バイバイ(@^^)/~~~

★Mくんと共に、目標に向かって歩んでいくからね(@^^)/~~~

399回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~みつまめの人生哲学論(@^^)/~~~

こんにちは管理人のみつまめです。

昨日の398回のブログで、人生苦楽の「ああ無常」を綴らせていただいた。

そこで少し掘り下げ今日はみつまめの~人生哲学論~を綴らせていただいた。

この世はすべて表裏一体! 当たり前の日常こそが人生最大の幸せなのかもしれない ~みつまめの人生哲学論~

この世はすべて表裏一体、これがみつまめの人生哲学論だ。

昨日、「ああ無常」をテーマに、人生において災いに巡り合う人、巡り合わない人、その違いはいったい何なのだろうかとブログを綴らせていただいた。

ところが、その余韻も冷めやらぬうちに、またしても悲劇のニュースが飛び込んできた。

スペイン中部で発生した高速列車の追突事故。死者は69人に達し、乗客名簿には日本人2人の名前も含まれていたという。

さらに愛知県安城市では、工事現場で土砂が崩れ、作業に当たっていた親子2人が命を落とすという痛ましい事故が発生した。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げたい。

それにしても、何ともやりきれない。

列車に乗った人たちも、工事現場で働いていた人たちも、まさかその日が人生最後の日になるとは夢にも思わなかっただろう。

朝、いつものように目を覚まし、家族と何げない言葉を交わし、それぞれの目的地へ向かった。

その当たり前の日常が、ある瞬間を境に突然失われてしまう。

人生とは、何と無常で、何と不公平なものなのだろうか。

幸せと不幸は、いつも背中合わせにある

ここで、みつまめは改めて考えてみた。

同じ時代に生まれ、同じ社会で暮らしながら、災いに遭遇する人もいれば、何事もなく平穏な一日を終える人もいる。

その差はいったい何なのだろうか。

紙一重かもしれない(;^_^A

運命なのか、偶然なのか、それとも人知の及ばない目に見えない、何かが存在するのだろうか。

考えれば考えるほど答えは見つからない。

しかし、一つだけ確信していることがある。

この世に、明日の幸せを保証された人間など一人もいないということだ。

今日、笑っている人が明日も笑っているとは限らない。

反対に、今日、悲しみに暮れている人が、明日も不幸であるとは限らない。

人生には喜びがあり、悲しみがある。出会いがあり、別れがある。健康があり、病がある。

まさに表裏一体なのだ。

ただし、幸せと不幸が必ず同じだけ訪れるという意味ではない。

いつ、どちらの面が自分の人生に現れるのか、誰にも分からないということなのである。

ありきたりな日常こそ、最高の贅沢ではないか

さて、ここからは少し視点を変えてみたい。

悲惨な出来事ばかりを考えていては、人生が暗くなってしまう(;^_^A

そこで、今のみつまめ自身の生活を振り返ってみた。

朝、目が覚める。

屋根のある家がある。

蛇口をひねれば水が出る。

食卓には食事が並び、家族の声が聞こえる。

健康に気を配りながらも、自分の足で歩き、好きなことを楽しみ、こうしてブログを書くこともできる。

もちろん人生、何の不自由もなく、悩みも心配事もないというわけではない。

年齢を重ねれば体の不調も出てくるし、家族のこと、将来のこと、心配事を挙げればきりがない。

それでも、今こうして何げない日常を送れている。

これ以上の幸せが、いったいどこにあるというのだろうか。

人間とは不思議なもので、手に入れている幸せには鈍感で、手に入らないものには敏感になる。

もっとお金が欲しい。

もっと豊かな暮らしがしたい。

もっと自由な時間が欲しい。

欲望には際限がない。

しかし、どれほど財産を築こうとも、どれほど社会的地位を得ようとも、明日の命を買うことはできない。

そう考えると、毎朝、何事もなく目を覚ませることさえ、実は大変ありがたいことなのではないだろうか。

失って初めて気づく幸せでは遅すぎる

人は大切なものを失って初めて、その存在の大きさに気づくという。

病気になって健康のありがたさを知る。

家族を失って、何げない会話の尊さを知る。

住む家を失って、安心して眠れる場所のありがたさを知る。

何とも皮肉な話だ。

幸せの真っただ中にいるときほど、人はその幸せに気づかない。

これこそ、みつまめが考える表裏一体論の核心なのだ。

幸せとは、必ずしも何かを手に入れることではない。

すでに手にしているものの価値に気づくことなのではないだろうか。

毎日、同じような生活の繰り返し。

代わり映えのしない食卓。

いつもの家族との会話。

そんな平凡な暮らしを退屈だと思うこともあるだろう。

しかし、突然その日常を奪われた人からすれば、何としてでも取り戻したい、かけがえのない時間なのかもしれない。

そう思うと、今この瞬間をもっと大切にしなければならないと感じる。

不幸を恐れるより、今日という幸せを生きる

もちろん、人生に災いが降りかからないよう願うことは誰しも同じだ。

事故に遭わないよう注意し、健康管理に努め、災害に備える。

できる限りの努力は必要だろう。

しかし、どれだけ用心していても、避けられない災いが存在することも事実である。

だからといって、まだ起きてもいない不幸を恐れ、毎日を不安の中で過ごしていては、それこそ人生がもったいない。

明日のことは誰にも分からない。

だったら、今日という一日を大切に生きればいい。

家族と笑い、食事を楽しみ、好きなことに夢中になり、時にはくだらないことで腹を抱えて笑う。

そんな一日を積み重ねることこそ、人生の豊かさなのかもしれない。

人生の幸せとは、特別な一日を何度経験したかではなく、何げない一日をどれだけ大切にできたかで決まる。

みつまめは、そんな気がしてならない。

最後に、みつまめの「人生哲学論」を勝手に公開

この世はすべて表裏一体。

光があれば影があり、喜びがあれば悲しみがある。

しかし、光の中にいるときに、わざわざ影ばかりを見つめる必要はない。

反対に、影の中にいる人の悲しみを、光の中にいる人が忘れてよいわけでもない。

今、自分が平穏に暮らせていることは、決して当たり前ではない。

そして、その幸せは自分一人の力だけで成り立っているわけでもない。

家族がいて、社会を支える人たちがいて、多くの人々の営みの上に、私たちの日常は存在している。

今回の痛ましい事故の報道に接し、改めて命の尊さと、平凡な暮らしのありがたさを考えさせられた。

人生、何が幸せで、何が不幸なのか。

その答えは人それぞれ違うだろう。

ただ、みつまめはこう思う。

「何も特別なことがなかった一日」こそ、実は人生で最も幸せな一日なのかもしれない。

今日も無事に一日が終わった。

家族が元気でいる。

明日もまた、いつもの朝を迎えられることを願う。

それだけで十分ではないか。

そして最後に、読者の皆さんに問いかけたい。

皆さんは今日、いくつの幸せに気づくことができただろうか。

幸せは、遠くに探しに行くものではなく、案外、自分の足元に転がっているのかもしれない。

これが、みつまめ流「この世はすべて表裏一体」の人生哲学論である。

ああ無常。

だからこそ、今日という一日が愛おしいのである。

★いよいよ次回はブログ公開回数:400回記念に突入だ~(@^^)/~~~

398回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~熊本地震あれから3ヶ月が経った

こんにちは管理人のみつまめです。

ふと新聞に目を通し思った、、、

熊本地震から3ヶ月、人生の明暗を分けるものは何なのだろうかと・・・

2026年7月28日、熊本県を襲った最大震度7の大地震。

あれから昨日の28日で3ヶ月が経過した。

しかし、被災地ではいまだ復興の道半ば。多くの人々が避難生活を余儀なくされ、以前の暮らしを取り戻せない日々が続いているという。

そして、あの地震直後に発生した「イオンモール熊本」の爆発事故。

何の罪もない7人の尊い命が奪われた。

あの日、いつものように仕事をし、いつものように家族のもとへ帰るはずだった人たち。

まさか、その日が人生最後の日になるとは、誰が想像できただろうか。

あれからもう3ヶ月。いや、まだ3ヶ月しか経っていない。

この時間の感じ方の違いに、みつまめは何とも言えない複雑な思いを抱く。

私たちは日々、仕事や家事、趣味に追われ、昨日の出来事さえ忘れてしまうことがある。

世間の関心も次々と起こる事件や事故へと移り変わっていく。

しかし、愛する家族を失った遺族にとってはどうだろうか。

3ヶ月という時間が過ぎても、失われた命は戻らない。

昨日まで当たり前だった日常が、ある日突然、永遠に失われてしまったのだ。

世間にとっては過去の出来事になっても、遺族にとっては今も続いている悲劇なのである。

ああ無常だ。

ここで、みつまめはふと考えてしまう。

同じ日本に生まれ、同じ時代を生きているのに、なぜこれほどまでに人生の明暗が分かれるのだろうか。

たまたま、その場所にいた人。

たまたま、その時間に居合わせなかった人。

ほんの数分、いや数秒の違いで、生と死が分かれてしまうことさえある。

それを「運命」という一言で片づけてしまってよいのだろうか。

もちろん、誰もが災難には遭いたくない。

みつまめだってそうだ。

しかし、世の中で起こる様々な事件や事故、自然災害を見聞きするたびに、どうしても腑に落ちない思いが込み上げてくる。

なぜ、ある人には何事もない平穏な一日が訪れ、ある人には人生を根底から覆す一日が訪れるのか。

そこには善人も悪人もない。

努力した人が必ず報われるわけでもなく、真面目に生きてきた人が必ず守られるわけでもない。

人生とは、何と理不尽なものなのだろう。

そして、もう一つ考えさせられることがある。

それは、人は自分が経験していない悲しみを、どこまで理解できるのだろうかということだ。

ニュースを見て胸を痛め、犠牲者を悼むことはできる。

しかし、当事者が抱える本当の苦しみや絶望を、同じ深さで理解することは難しい。

いやできない(;^_^A

でも寄り添う気持ちは持てるはずだ。

もし、それが自分の家族だったら。

もし、自分がその場所にいたら。

人間は、生まれる場所も時代も選べない。

そして、いつ、どこで、何が起こるのかも分からない。

だからこそ、今日という何事もない一日が、どれほどありがたいものなのかを考えなければならないのかもしれない。

当たり前に家で、朝を迎え、家族と食事をし、何事もなく眠りにつく。そんな平凡な一日こそ、実はかけがえのない幸せなのだ。

熊本地震から3ヶ月。

被災された方々にとって、本当の意味での復興はまだまだこれからだ。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りするとともに、一日も早く被災地に平穏な日常が戻ることを願ってやまない。

そして、私たちも決して忘れてはいけない。

災害の記憶が薄れても、悲しみまで消えたわけではないことを。

人生の明暗を分けるものは何なのか。

考えても考えても、答えは見つからない。

人は生まれる日を選べず、人生に何が起こるかも選べない。それなのに、その結果だけは自分自身や家族が背負わなければならない。

何とも不公平で、何ともやりきれない。

何回でも言う、、、

ああ無常。

みつまめには、今はこの言葉しか思い浮かばない。

皆さんは、どうお考えだろうか。

人生とは、運命なのか。それとも、偶然の積み重ねなのだろうか。

答えの出ない問いだからこそ、皆さんと一緒に考えてみたいと思う。

★日常の生活ができるだけで幸せだ。

397回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~巻き添え死、心が痛む事故を法はどう裁くのか、、、

こんにちは管理人のみつまめです。

死のうとした男は助かり、生きたかったお嬢さんは亡くなった。これが「過失」で済まされるのか?

~名古屋・飛び降り巻き添え死事件、問われる司法の判断~

言葉が出ないほどの痛ましい事件を知った。

10月27日(火)の産経新聞朝刊で目にした、名古屋市で起きた飛び降り巻き添え死事件。。

今年7月19日、名古屋市中区の繁華街で、マンション11階から29歳の男が飛び降り、たまたま歩道を歩いていた23歳の女性、稲葉朋来(いなば・ほうら)さんが巻き込まれ、尊い命を失った。

何の落ち度もない、未来ある23歳の女性。

一方、自ら命を絶とうとした男は一命を取り留めたという。

死のうとした人間が助かり、生きようとしていた人間が亡くなる。

これほど理不尽で、やりきれない現実があるだろうか。

みつまめは記事を読みながら、胸が締め付けられる思いがした。

この事故、事件について調べ、自分なりに疑問を探ってみた。

なぜ「殺人罪」ではなく「重過失致死罪」なのか?

男は8月、重過失致死容疑で逮捕・送検された。

しかし、娘さんを失った父親は納得できず、殺人罪での起訴を求める署名活動を始めた。

痛いほど気持ちは分かる。

そして本日10月28日、集まった署名と意見書を名古屋地検に提出する予定だという。

みつまめも、父親の訴えに強く共感する。

なぜなら、今回の事件には単なる不注意では片付けられない重大な問題があると思うからだ。

11階という高さから、人通りのある歩道へ飛び降りれば、下にいる誰かを巻き込む危険性があることは容易に想像できる。

そこで問題となるのが、みつまめも初めてしった、法律でいう~「未必の故意」~があるという。

簡単に言えば、誰かが死ぬかもしれないと認識しながら、それでも構わないと考えて行動することのようだ。

仮に男がその危険性を認識し、他人の死亡を容認して飛び降りたのであれば、殺人罪が成立する余地は十分にある。

法律の壁は、想像以上に高い

ただし、ここに難しい問題がある。

人が死亡する危険性を予測できたことと、実際にその結果を受け入れていたことは、法律上同じではない。

殺人罪を成立させるためには、男が飛び降りた当時、他人を死亡させる可能性を認識し、それでも構わないと考えていたことなどを、証拠に基づいて立証しなければならないようだ。

報道によれば、父親は男と直接面会し、下にいる人が死んでも構わないと思って飛び降りたのかと問いただしたところ、男は肯定したという。

この発言が事実であれば、極めて重要な証言ではないだろうか。

もっとも、その発言だけで直ちに殺意が認定されるわけではないだろう。事件当時の精神状態や現場の状況なども慎重に調べる必要がある。

現在、男は刑事責任能力などを調べるため、鑑定留置されている。

司法が慎重に判断する必要性は理解できる。

しかし、だからこそ、最初から過失として結論づけるのではなく、殺人罪の成立も視野に入れた徹底的な捜査を望みたい。

奪われたのは、たった一つの命だけではない

23歳といえば、これから人生の大きな可能性が広がっていく年齢だ。

仕事、恋愛、結婚、家庭、そして数え切れないほどの夢や希望があっただろう。

もちろん、どんな人生を歩むはずだったのかは誰にも分からない。

しかし、その未来を自分の意思で選ぶ権利を、一瞬にして奪われてしまった。

そして、娘さんの帰りを待つ家族の日常も、永遠に失われた。

父親は事件後、自ら現場に足を運び、同じ時間帯の人通りまで調べたという。

その行動を思うと、どれほどの悲しみと無念を抱えているのか、想像するだけで胸が痛む。

みつまめは、いや誰もが「殺人罪」での起訴を求めるにちがいない

自ら命を絶とうとするほど追い詰められた人には、その人にしか分からない苦しみがあるのかもしれない。

その苦しみを軽く考えるつもりはない。

しかし、自分の命を絶とうとすることと、他人の命を奪ってしまうことは、まったく別の問題である。

みつまめは、今回の事件について、「未必の故意」による殺人罪の成立を十分に検討し、証拠が認められるのであれば殺人罪で起訴すべきだと強く思う。

一方で、どれほど悲惨な結果であっても、感情だけで罪名を決めることはできない。そこに司法の難しさがある。

だからこそ、問いたい。

「殺すつもりはなかった」という言葉だけで、他人の命を奪った責任が軽くなってよいのだろうか。

そして、誰かが死亡する危険性を承知しながら行動したのであれば、それは本当に「過失」なのだろうか。

今回の事件は、単に一人の男の刑事責任を問うだけでなく、社会が人の命の重さをどう受け止めるのかという問題を私たちに突き付けている。

亡くなられた朋来さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、ご遺族の思いが司法に真摯に受け止められることを願ってやまない。

何回でも繰り返す、、、

死のうとした男は助かり、生きたかった娘は亡くなった。

この理不尽な現実を、決して忘れてはいけない。

みなさんは、この事件をどう思われますか。

殺人罪なのか、それとも重過失致死罪なのか。

司法がこれから下す判断を、みつまめはこれからも注視していきたいと思う。

合掌。

396回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~「食パン工房はるか」の、あの生食パンの美味しさが忘れられない、、、

こんにちは管理人のみつまめです。

HbA1c7.8という結果の再検査を終え2週間が経とうとしている。結果はHbA1c7.0とかろうじて2ヶ月弱の糖質制限の腹ヘリヘリ生活の成果で改善が見受けられたが、かかりつけ医からは「まだまだ改善が必要」とのお達しが……。

どうやら、みつまめの腹ヘリヘリ生活は、そう簡単には終わらせてもらえないようだ(;^_^A

その週末には愛犬Mくんの散歩途中に、にわかと人気店となったパンケーキ店で久しぶりのチートDAYを楽しんだみつまめ。

まさに至福の時間だった(@^^)/~~~

もちろん、その後も糖質制限はできる範囲で続けている(;^_^A

人間、欲のなかの制限で大きくストレスを感じるのはやはり「食」だろう、、、

好きな時に好きな物を食べれないストレスは相当なものだ(;^_^A

で、ふと思いで深い、まさに天下一品と思える「食パン工房はるか」の美味しい生食パンの事を思い出したので記録と共に復活を願い、ブログに綴ってみた。

実はみつまめの家から車で10分ほどの狭い住宅地の一角に「食パン工房・はるか」という小さな食パン専門店があった。

2021年4月にオープンしたお店だ。

当時は空前の高級食パンブーム。「乃が美」がその先頭を走り、後を追うように2番手、3番手と新たな専門店が続々とオープンした。社会現象とまでは言わないものの、それまで庶民の身近な存在だった食パンが、ちょっとした贅沢を楽しむ「高級食パン」へと進化し、食パンに対する人々の価値観が大きく変わりつつある時代だった。

それまで食パンといえば、一斤150円前後が当たり前の時代。ところが高級食パンとなれば、1000円には届かないものの、庶民感覚からすれば驚くほどの高額だ。しかし、一度その味を知ってしまえば、考え方は一変する。袋を開けた瞬間に広がる芳醇な香り、口に含んだときのしっとりとした食感、そして噛むほどに広がる小麦本来の甘み。なるほど、これが高級食パンというものか!と、思わず納得してしまう。値段の違いは、単なる贅沢ではなく、確かな美味しさへの対価なのだと感じさせられた。

みつまめも妻も、高級食パンのファンになり、いろいろと試しに買ってみたが、我が家のNO1は「食パン工房・はるか」のあんこ・チーズ・抹茶・ピザ・チョコレート・季節限定のさつまいも等、多くの種類の食パンは他の高級生食パンとは比べようがないほど、どれをとっても群を抜く。

ご家族で経営されており、値段も500円と手ごろな価格で、その美味しさを今でも忘れることはない。

実は残念なことに2年前にお店を閉められた。

多くのファンに愛されたお店だったが、その閉店の理由は未だに定かでない。

もちろん台所事情はわからないが、みつまめ家族は今でもあの食パンが食べたいねって、、なにかあるたびに話がでる。

願わくば復活をと、またみつまめ家族の楽しみを味わいたいと思い、今回のブログを公開させていただいた。

みつまめにとって、糖質制限は終わりなき食生活ではあるが、いつかどこかで「食パン工房・はるか」との再会を願いたい(@^^)/~~~

★ほんとに美味しかったからね(@^^)/~~~