こんにちは管理人のみつまめです。
辺野古沖転覆事故、いや事件だ。
幾度となくみつまめは、学校法人同志社に対し苦言を呈してきた。
辺野古転覆事件から、なんと7か月半後の10月30日、同志社理事長、八田英二氏からの初謝罪があった!
あまりにも遅すぎる。
これが大学の教育者の責任の取り方なのか!
世間の考えと相当ズレている。
5時間という長丁場の会見だったが、ネットでは一部、理事長の心もとない表情が取りざたされている。
えっ、なんで今ごろ、7ヶ月半も空白にしていたの、なぜ初めての謝罪なのか!?
思わず耳を疑った。
みつまめは率直に、何回でも苦言を申し上げる。
遅すぎる!あまりにも遅すぎるではないか!
もちろん、謝罪すること自体は当然である。しかし、一人の尊い高校生の命が失われた重大事件であることを、全く学校側は重く感じていない。
なぜ、法人の最高責任者が自ら公の場に立ち、説明するまで7か月半もの時間を必要としたのだろうか。
会見では、事故原因の検証や再発防止策の取りまとめに時間を要したと説明したという。
しかし、それと謝罪や説明責任を果たすことは別問題ではないだろうか。
調査結果がまとまらなければ謝罪できないのか。改善策が完成しなければ、社会に向けて説明できないのか。
八田理事長は、この遅すぎた理由をこう述べている。
「教育の中立性を検証する検討委員会の結果を待ってから説明する予定だった」と言い逃ればかりの釈明ばかりだったという。
なぜ自ら率先し検証の場にたたないのか、他人ばかりへ責任を押し付け、自らが先頭になり時間軸にともない事実だけの説明をはたせなかったのか。
ご遺族が知りたい情報をなぜ、真摯に向き合い答えなかったのか。
もうありとあらゆることが、めちゃめくちゃで、遺族の方に寄り添う気持ちを全く考えていないように見えてしまう。
みつまめには、どうしても理解できない。
そして何回でも問う、 平和学習の名のもとに、なぜ生徒を抗議船に乗せたのか
今回の事故で、絶対に見過ごすことのできない重大な問題がある。
そもそも論だ。
生徒たちが乗船していたのが、一般的な観光船ではなく、米軍基地移設に反対する活動で使用されていた、いわゆる「抗議船」だったという事実だ。
平和を学ぶことは大切である。戦争の悲惨さを知り、命の尊さを学ぶことに異論はない。
しかし、教育とは、さまざまな立場や考え方を知り、生徒自身が判断する力を育てるものではないだろうか。
今回、八田理事長自身も、平和学習の中立性に問題があったとの認識を示した。
それならば、なおさら問いたい。
なぜ、学校は政治的な抗議活動に使用される船に生徒を乗せる必要があったのか。なぜ誰も止めることができなかったのか
しかも第三者委員会の調査では、教員による事前の航路の下見が行われていなかったことなど、安全管理上の重大な不備が指摘されている。
平和を教えるはずの教育現場で、何よりも守らなければならない生徒の命が守られなかった。
これほど悲しく、皮肉なことがあるだろうか。
さらに、みつまめが疑問を感じたのは責任の取り方である。
八田理事長は、今後の検証や改善計画について説明責任を果たした後、理事長を辞任する意向を示した。
ところが、なんと総長と理事の職には当面とどまるという。
えっ、それで責任を取ったことになるのだろうか。
もちろん、役職ごとに職務や責任の範囲が異なることは理解できる。
しかし、学校法人の最高責任者として重大事故を防げなかったことを認めながら、別の要職にはとどまるという判断に、世間は納得できるだろうか。
責任を取るとは、単に肩書を一つ返上することではないはずだ。
なぜ事故が起きたのか。誰が安全確認を怠ったのか。組織のどこに問題があったのか。
そして、誰がどのような責任を負うのか。
それらを明らかにしてこそ、本当の意味での説明責任ではないだろうか。
誰も責任をとらない、そのものの学校の体質がまかり通ってきたのだろう。
ご遺族の方のこれまでの7か月半は、二度と戻らない時間だ。
そして、今回の報道で最も胸が痛んだのは、ご遺族の思いである。
武石知華さんのご両親は、今回の会見を受けて「言いようのない違和感を覚えた。その原因は内容もさることながら、根本的にはこれまでの沈黙にあると感じる。そのときどきに語るからこそ、伝わる気持ちや誠実さもあったのではないかと思う」とコメントされたという。
ご遺族が11月1日、公開されたnoteには、会見の節目はいくつもあったと示されている。
以下、noteの一部を抜粋させていただいた。
節目はいくつもありました
社会に対して説明すべき節目は、いくつもありました。
3月、特別調査委員会の設置を決めたとき。
5月、文部科学省が見解を示したとき。
7月、私たちが刑事告訴を行い、学校が家宅捜索を受けたとき。
7月末、調査報告書を受け取ったとき。
9月、教育の検証を外部の委員会に委ねると決めたとき。
とnoteには綴られている。
誰がみても不信感は宿る。
いくつもの会見の節目があったものの、なぜか理事長の会見はなかったのか。
ということは真摯にことの重大さに責任を取る形で代表の理事長は謝罪すべきだった。
あまりにも遅すぎた対応だった。
第三者委員会が指摘した安全管理の不備、組織としての危機管理意識の欠如、そして事故後の説明の遅れ。
これらは一つ一つ、厳しく検証されなければならない問題だ。
みつまめは、学校法人同志社に強く申し上げたい。
謝罪は終着点ではない。責任を果たすための出発点である。
そして何より、ご遺族の声に真摯に耳を傾けていただきたい。
失われた命は、どれだけ頭を下げても、どれだけ立派な再発防止策を並べても、二度と戻ってこない。
だからこそ、曖昧な幕引きだけは絶対にあってはならないと、みつまめは強く思う。
「7か月半後の初謝罪」~その重さを、私たちはどう受け止めるべきなのだろうか~。
そして、皆さんに問いかけたい。
これが本当に、子供たちの命を預かる教育機関の責任の取り方なのだろうか。
いや教育者以前に、人としてどうなのかを疑ってしまう。
11月1日に公開された、ご遺族のnoteには最後にこう綴られている。
「説明責任を果たすとはどういうことか。学校法人と学校には、これまでの7か月半を振り返って、もう一度真剣に考えてほしいと思っています。この会見が区切りではなく、説明の再開点になることを願っています。」
と締め括られている。
ご遺族が疑問視する「なぜ」を一日も早く答えを出さなければいけない。
そして、ご遺族による刑事訴訟の対象者11名は1日も早く法の裁きを受け罪を受けなければいけない、誰も責任をとらないことだけは決して許してはならない。

★沈黙7ヶ月半「不信増幅」した会見だった、、、








