こんにちは管理人のみつまめです。
最近、辺野古沖での転覆事故や磐越自動車道での事故、そして各地で報じられる殺人事件など、胸が締め付けられるようなニュースが後を絶たない。
なぜ、そこまで人を殺めるまでの憎しみをもってしまうのか?
なぜ理性を押さえることができないのか?
許すこころはどこにいったのだろうか?
人間としての心を見失うほどの憎しみとはなんだろうか?
おかしいなと気が付くことがあれば、なぜ言えないのか?
社会の約束事、安全基準をなぜ守ることができないのか?
過去を振り返っても、
1997年 神戸連続児童殺傷事件
1997年 東海村JCO臨界事故
2001年 池田小学校無差別殺傷事件
2001年 明石花火大会歩道橋事故
2005年 福知山脱線事故
2008年 秋葉原無差別殺傷事件
2008年 大阪個室ビデオ店放火事件
2016年 相模原障がい者施設殺傷事件
2019年 京都アニメーション放火殺人事件
そのほか多くの人々に深い悲しみをもたらし、今も記憶に深く刻まれた悲惨な出来事があった。
もちろん、それぞれの事故や事件には異なる背景や原因がある。しかし、報道を見ていると「本当に防ぐことはできなかったのだろうか」と考えさせられる場面が多い。
現代社会は便利になった一方で、人と人とのつながりが希薄になったとも言われる。地域社会での交流の減少、職場での孤立、家庭内でのすれ違い。
そうした小さな歪みが積み重なり、誰にも相談できないまま追い詰められてしまう人もいるのかもしれない。
また、忙しさの中で「危険かもしれない」という小さなサインを見逃してしまうこともある。
事故も事件も、多くの場合は突然起きたように見えて、その前には何らかの兆候が必ず存在していた可能性がある。
だからこそ、私たちは単にニュースを消費するだけではなく、一旦立ち止まり、その出来事から何を学ぶべきかを考えなければならない。
家族との会話を増やす。
地域とのつながりを大切にする。
職場や学校で孤立している人に声をかける。
そして危険を感じた時に「大丈夫だろう」と見過ごさないこと、などなどだ。
社会を変えることは簡単ではない。しかし、一人ひとりの小さな気づきや行動が、未来の事故や事件を防ぐ力になるのではないだろうか。
失われた命は戻らない。
だからこそ、私たちは悲しい出来事を単なる過去のニュースとして風化させるのではなく、「二度と繰り返さないために何ができるのか」を、平和ボケした今の時代だからこそ考え続けなければならないのではないだろうか。
そして8人が犠牲となった大阪教育大付属池田小学校の児童殺傷事件は、8日の今日で発生から25年が経った。
みつまめは今日、いろいろと考えさせられた日を終えようとしている。
合掌。





