こんにちは管理人のみつまめです。
昨日の産経新聞朝刊で、今になって知った「葛根廟(かっこんびょう)事件」。
あまりにも痛ましい史実があったこと。みつまめの知識のなさに愕然としたと共に胸が締めつけられるような衝撃を覚えた。
少し調べてみたので、記録と共に、皆さんにも知ってほしい気持ちになった。
戦争については、広島・長崎への原爆投下、沖縄戦、東京大空襲、そして満州からの引き揚げなど、これまでにもさまざまな歴史を見聞きし、戦争の本も沢山読んできた。
しかし、終戦を迎えるわずか前日、満州で多くの日本人避難民が犠牲となった「葛根廟事件」については、恥ずかしながら、これまで何も知らなかった。
なぜ、これほど痛ましい出来事を知らずにいたのだろう。
そもそも、なぜ満州に多くの日本人がいたのか
事件を理解するには、まず当時の満州について知っておく必要がある。
1931年の満州事変を経て、翌1932年、日本の強い影響下で「満州国」が建国された。
その後、日本政府は満州への移住を推進し、「満蒙開拓団」などとして多くの日本人が海を渡った。
農業に従事する人、鉄道や企業で働く人、その家族等々。
終戦時には満州に非常に多くの日本人が暮らしていた。
もちろん、その背景には日本による中国大陸への進出と支配があり、現地の中国人との土地をめぐる問題など、決して無視することのできない歴史もあった。
しかし、そこで暮らしていたすべての人が政策を決めたわけではない。
多くの女性や子どもたちは、家族とともに日々の生活を送っていた普通の民間人だった。
その日常が1945年8月、突然崩壊する。
1945年8月9日~ソ連軍が満州へ~
当時、日本とソ連の間には「日ソ中立条約」が存在していた。
ところがヨーロッパでドイツが降伏した後、ソ連はヤルタ会談での対日参戦に関する秘密協定を背景に、日本との中立条約を延長しないことを通告していた。
そして1945年8月8日、ソ連は日本に宣戦布告。
翌9日、ソ連軍は満州などへ大規模な攻勢を開始した。
圧倒的な戦力を持つソ連軍の侵攻によって、満州各地は大混乱に陥った。
そして、その混乱の中に取り残されたのが、日本人の民間人だった。
女性や子どもたちの逃避行
ソ連軍の侵攻を知った人々は、安全な場所を求めて避難を始めた。
しかし、それは現在のような整然とした避難などではないだろう。
交通手段も限られ、十分な食料もない。
高齢者もいる。
幼い子どもを連れた母親もいる。
どこまで逃げれば助かるのかさえ分からない。
そんな極限状態での逃避行だった。
そして1945年8月14日。
現在の中国・内モンゴル自治区にあたる葛根廟付近を移動していた日本人避難民の一団が、ソ連軍部隊と遭遇する。
避難民の多くは女性、子ども、高齢者などの民間人だったようだ。
そこへ戦車や機関銃などによる攻撃が加えられ、多数の人々が命を落とした。
犠牲者数については資料によって差があるものの、一般に千人を超える人々が犠牲になったと伝えられている。
これが「葛根廟事件」である。
そして、その翌日が「終戦の日」だった
事件が起きたのは、1945年8月14日。
そして日本がポツダム宣言受諾を国民に知らせた玉音放送が行われたのは、
翌8月15日。
わずか一日の差。もちろん歴史に「もし」はない。
しかし、
「あと一日だったのに・・・」
そう考えずにはいられない。
もちろん、8月15日を境に満州の混乱が直ちに終わったわけではない。
その後もソ連軍の進撃は続き、満州に残された日本人たちは、飢え、病気、暴力、家族との離別など、過酷な状況にさらされた。
終戦は、日本国内にいた人々にとって「戦争が終わった日」だった。
しかし海外に取り残された人々にとっては、8月15日を迎えてもなお、「生きて日本へ帰るための戦い」が続いていたのである。
国策と戦争のツケを背負わされた民間人
満州の歴史を語る際、日本による中国大陸への侵略や植民地的支配の側面を無視することはできない。
日本が戦争によって中国をはじめアジアの人々に多大な被害を与えたことも、歴史として直視しなければならない。
しかし、それと葛根廟で民間人が犠牲になったことは別の問題だ。
国家間にどのような事情があろうとも、女性や子どもを含む民間人の命が奪われた悲劇まで正当化されるものではない。
戦争というものは、最後には国の政策を決めた人間ではなく、何の力も持たない普通の人々に最も重い代償を払わせる。
葛根廟事件は、その残酷な現実を私たちに突きつけているように思う。
「葛根廟事件」~1945年8月14日~。
このブログを読んでくださっている皆さんにも、この名前と出来事を知っていただきたい。
そして初めて知ったという方には、ぜひ家族や次の世代にも伝えてほしい。
戦争を経験した人がいなくなっても、歴史まで消してはいけない。
忘れないこと。
知ること。
そして語り継ぐこと。
それこそが、同じ悲劇を二度と繰り返さないために、今を生きる私たちができることだと思う。
葛根廟で命を奪われた多くの方々に、改めて心から哀悼の意を表したい。

★けっしてあの痛ましく残酷な戦争は2度と起こしてはいけない。 合掌。