279回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~学校の隠蔽体質 なぜ責任逃れはなくならないのか?

こんにちは管理人のみつまめです。

またしても学校現場で、見過ごすことのできない事案が明らかになった。

報道によると、強豪として知られる 東海大学付属大阪仰星高等学校 のラグビー部で、昨年12月31日の練習後、当時3年生の部員が同学年の部員に背後から首を絞められ意識を失い、コンクリートの地面に頭を打ったという。その後、救急搬送され全治2か月と診断された。

学校側は「監督が頭を打った認識がなかったため119番通報しなかった」と説明している。しかし、意識を失うほどの事態が発生していたにもかかわらず、なぜ緊急対応が行われなかったのかという大きな疑問は残る。

しかも、この時期は「花園」と呼ばれる全国高校ラグビー大会の開催期間中だった。仮にこの問題がその時点で公になっていれば、大会出場への影響が生じた可能性も否定できない。

もちろん、現時点で意図的な隠蔽があったと断定することはできない。しかし、多くの人が「なぜすぐに公表されなかったのか」「なぜ適切な対応が取られなかったのか」と疑問を抱くのは当然だろう。

首を絞めた部員は理由を「分からない」と話し、常習的な暴行は確認できていないとしている。

指導する教員も生徒も、もうめちゃくちゃだ

命に別状がなく、最悪の結果にならなくてよかった。

なぜ学校の隠蔽体質は繰り返されるのか

こうした問題が起きるたびに感じるのは、「組織を守ること」が「生徒を守ること」より優先されてしまう構造だ。

やはりなにか、おかしい・・・

学校は本来、子どもたちの安全を最優先に考えるべき場所である。

ところが不祥事や事故が発生すると、

  • 学校の評判が傷つく
  • 強豪部活動の実績に影響する
  • 入学希望者が減る
  • 指導者の責任問題になる

こうした組織防衛の心理が働きやすい。

その結果、事実を小さく見せようとしたり、公表を先送りしたりする傾向が生まれる。

しかし、それは結果として被害を受けた生徒や保護者をさらに傷つけることになる。

そこで、「大丈夫だろう」が最も危険だ。

スポーツ現場では「これくらいなら大丈夫」「少し休めば回復する」という判断が行われることがある。

昭和でいう根性論だ。

今はそういう時代ではない。

意識を失う事案は決して軽視してはならない。

特に頭部への衝撃は、その場では症状が軽く見えても、後から重大な障害につながる可能性がある。

だからこそ、学校側が定めたルールが存在する。

ルールがあるにもかかわらず、それが現場で徹底されなかったのであれば、単なる個人の判断ミスではなく、組織全体の安全意識が問われる問題である。

責任逃れの体質文化を変えなければならない

学校の不祥事が繰り返される背景には、「問題を報告した人が損をする」という空気もある。

事故を報告すれば責任を問われる。

公表すれば批判される。

だから隠したくなる。

要は責任論だ。

しかし、本来評価されるべきなのは、問題が起きた後に迅速かつ正直に対応する姿勢のはずだ。

失敗そのものよりも、失敗を隠そうとする行為のほうが、社会からの信頼を大きく失わせる。

子どもたちの安全より大切なものはない

学校や指導者には、生徒を預かる重い責任がある。

全国大会の結果も、学校の名誉も、部活動の実績も大切だろう。

しかし、それらは生徒の命や安全より優先されるものではない。

もし今回の件から学ぶべきことがあるとすれば、「問題を隠さない文化」を学校現場に根付かせることだ。

事故やトラブルはゼロにはできない。

だが、事実を隠し、責任を曖昧にし、時間の経過によって忘れ去られることを期待する体質は、もう終わりにしなければならない。

子どもたちが安心して学び、部活動に打ち込める環境を守るためにも、学校には説明責任と透明性が強く求められている。

★この事件も、決してあいまいにしてはいけない。即刻、記者会見を開き事実を公にせよ!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)