271回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~河野洋平氏 死去、あの「河野談話」を考える・・・

こんにちは管理人のみつまめです。

なぞの咳が昨日から止まらなく、大事をとって会社を休んだ。明け方まで一睡もできず、明日も休むことにした(;^_^A

体中の菌を咳で吐き出そうとしている自らの身体の不思議さに、あらためて体のメカニズムの神秘を考えることができた(;^_^A・・・

そして今朝、河野洋平氏死去のニュースが飛び込んできた。

河野氏と聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、やはり1993年に発表された「河野談話」ではないだろうか。

あれから30年以上が経った今もなお、この談話を巡る議論は終わっていない。

そもそも河野談話とは何だったのか。

みなさんと共に少し考えてみよう!

当時、政府は慰安婦問題の調査を行い、その結果として「慰安所の設置や管理などに旧日本軍が関与していたこと」や、「慰安婦募集において本人の意思に反して集められた事例があったこと」を認め、謝罪と反省の意を表明した。これが河野談話である。

要は確たる裏付ける証拠もなく記者会見で、一方的に日本が悪かったと語ってしまったのだ。

国際社会において謝罪と反省を述べると、いつまでもそのことを歴史カードとして使われてしまう。

浅はかな考えだ。

世界は敏感だ。「日本軍が組織的に女性を拉致したことを認めた」と当然解釈され、日本の国際的評価を傷つけてしまった失言だと、みつまめは勝手に解釈する。

その後、いやおうなしに、海を渡りこの談話を巡っては大きすぎるほどの論争が起こってしまった。

なぜなら、多くの研究者や保守派の間から、「旧日本軍や官憲が組織的に朝鮮半島で女性を強制連行したことを示す公文書は確認されていない」

という指摘があとから湧いて出てきたからだ。

ここで不思議なのは、なぜ河野氏は強制性を認めるような内容を発表したのだろうか?

当時の政府は元慰安婦への聞き取り調査を重視し、その証言を基に談話を作成したとされている。

一方で後年、

「証言の裏付けが十分だったのか」

「外交的配慮が影響したのではないか」

という疑問も提起されるようになった。

もし当時の日韓関係の冷え込みの鎮静化のために河野談話をだしたのなら、過去例にない最悪の談話だ。

そのため河野談話は現在でも、「歴史的事実を認めた重要な談話」と評価する人がいる一方、

「十分な証拠検証を経ずに日本の名誉を傷つけた談話」と批判する人もいる。

つまり河野談話とは、単なる歴史問題ではなく、

歴史認識、外交、人権問題が複雑に絡み合った日本現代史最大級の論争の一つなのである。

歴史を正しく伝えることは極めて重要だ。

もちろん真実を曲げて語ってはいけない。

過去の過ちがあれば、正さなければいけない。

しかし同時に、事実確認が不十分なまま歴史認識が固定化されることも避けなければならない。

河野洋平氏の死去を機に、私たちは改めて河野談話とは何だったのか、そして歴史の真実とは何かを冷静に考える必要があるのではないだろうか。

感情論ではなく事実に基づいて。

特に国際的な問題に言及する場合は、あらゆる方向を考え、慎重に発言しなければいけない。

そして日本の未来を担う子どもたちへ、できる限り正確な歴史を伝えていくためにも。

合掌。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)