こんにちは管理人のみつまめです。
前々回246回のブログで「また痛ましい事故が起きてしまった」この磐越道死亡事故をみつまめ目線で綴った。
時間が経つにつれ、あり得ないバス会社の杜撰な安全管理体制が次々に露わになってきた。
バスを運転していた68歳男性を即時逮捕。なんと今年に入り数件の事故歴があったという。前日は酒を飲んでいた事実も次々とあからさまになってきた。
もうめちゃくちゃでありえない安全管理体制だ。
運転手や車両の手配をめぐる原因説明には学校側、バス会社に齟齬がありズレズレだ。
おそらくバスの手配依頼をしたのは、学校側テニス部の顧問だろう。
その顧問も説明責任を果たすべきだ。
依頼を受けたバス会社(営業担当)側の記者会見をみた感想は、見た者全員が怒りを覚えたにちがいない。
みつまめもその一人だ。
へらへらし笑いながらの説明場面があり、遺族の方のお気持ちを考えれば到底納得できるとは言えない。
辺野古沖事故・事件の時もそうだった。
ヘリ基地反対協議会の記者会見でも、ありえない態度で世間から非難轟轟を受けている。
若い未来ある、大切な命を奪った責任を取る対応とはとうてい思えない。
人間としてあるまじき行為だ。
やはり事故・事件を起こす側には、必ず原因がある、人・もの・お金の管理体制の杜撰さが間違いなく直接の原因だ。
しかし亡くなった命は戻ってこない。
「あの時止めていれば…」
辺野古沖転覆事故と磐越道マイクロバス事故には驚くほど共通する“後悔”がある。
2026年、私たちはまた「防げたかもしれない事故」に直面した。
沖縄・辺野古沖で発生した転覆事故。
そして今回の福島・磐越道で起きたマイクロバス事故。
場所も状況も違う。
何度でも繰り返す。その裏側には恐ろしいほど似た共通点がある。
それは――
「危険を感じていた人がいたのに、止められなかった」という現実だ。
無理な運行。
無理な判断。
「大丈夫だろう」という慣れ。
そして、“誰かが止めてくれるはず”という空気感。
事故が起きたあと、人は必ずこう言う。
「なぜ止めなかったのか」
「なぜ続けたのか」
しかし現場では、責任、空気、立場、焦りが重なり、危険な流れは止まらないことがある。
だからこそ今、必要なのは“責任追及だけ”ではない。
「危険だと思ったら止める勇気」を社会全体が持てるかだ。
命は、やり直せない。
事故のあとに残るのは、深い後悔だけなのだから。
みつまめも子を持つ親。
自分の子供が事故・事件に巻き込まれたとしたら、考えたくはないが言葉がでない。
責任とはなにか。
今回の運転手は逮捕された。バス会社・学校へもまだまだ責任の追及を続けなければいけない。
また四十九日が終わっても辺野古沖転覆事件の責任は誰ひとり取っていない。
この闇の世界を絶対に許してはいけない。
必ずや亡くなった高校生お二方の無念は果たさなくてはいけない。
絶対にだ・・・!!

★責任は重い!