こんにちは管理人のみつまめです。
石破80年談話が見送られそうだ(@^^)/~~~
しかしまだ石破ニゲルの事だ。
違う形、つまり個人的見解のメッセージで表すかもだ(;^_^A
出せば近隣諸国の思うつぼだ。
歴史カードを使いまた攻撃してくるのは目に見えている(;^_^A
8月15日終戦記念日まであと少しだ。
今から80年前の終戦間近の頃、日本から遠い硫黄島で、痛ましい、ある史実があったことをみつまめが注目する作家、ジャーナリストの門田隆将氏の著書「大統領に告ぐ 硫黄島からルーズベルトに与ふる書」で知った。
命をかけて届けられた「平和の手紙」 ~硫黄島で生まれた、涙の物語~
硫黄島 涙の物語
・市丸利之助少佐・三上弘文兵曹・村上治重参謀の3名の命をかけた勇気あるそして涙があふれる物語だ。――
1. 硫黄島、最後の決戦
1945年3月、硫黄島。
米軍の包囲は日ごとに狭まり、弾薬も食料も尽きかけていた。
海軍少将・市丸利之助は、かつて予科練の若者たちを育て上げた教育者でもあり、部下からの信頼は厚い人物だったと云う。
敗戦は避けられない――。
それでも市丸少佐には最後にどうしても伝えたい想いがあった。
それは、憎しみではなく、未来の平和を願う言葉だった。
2. 大統領への手紙
市丸少佐はアメリカ大統領ルーズベルト宛に、日本人の心を綴った手紙を書き上げる。
「互いに理解し合えば、必ず戦争のない未来を築ける」――そんな思いが込められていた。
3. 二人の若き使者
手紙を託されたのは二人の若者。
ひとりはハワイ生まれの日系二世・三上弘文兵曹。
彼は英語でこの手紙を翻訳し、アメリカの人々にも届くようにと力を込め生死をかけ翻訳に力を注いだ。
もうひとりは通信参謀の村上治重大尉。
彼は、市丸少佐が書いた日本語の手紙と三上兵曹が翻訳した英語版手紙の、二通の手紙を腹に巻きつけ、総攻撃に向かったという。
「必ず届ける」――それが彼の最後の使命だった。
4. 命と引き換えの使命
激しい戦火の中、村上参謀は戦死。
しかし、彼の体から見つかった手紙は米軍の手に渡る。
やがて1945年7月、全米の新聞にその全文が掲載され、多くのアメリカ人の心を揺さぶった。
5. 届かなかった宛先
けれども、宛先のルーズベルトはすでに亡くなっており、残念にもその目に触れることはなかった(;^_^A
それでも、硫黄島の小さな島で紡がれた、この命がけのメッセージは、戦争を越えて人々の胸に刻まれ、忘れることなく語り継がれるだろう。
最後に思う。。。
硫黄島の戦いは、日本にとってもアメリカにとっても激烈を極めた戦場だった。
史上最大の激戦。
日本軍2万1千人
米軍11万1千人
5倍以上の大兵力を投じた米軍、結果は明らかだ(;^_^A
その中で生まれた「平和の手紙」は、たとえ宛先に届かなくとも、人としての尊厳と誠実さを今に伝えていると云う。。
皆さんには是非、ジャーナリストである門田隆将さんの著書「大統領に告ぐ、硫黄島からルーズベルトに与える書」を読んでいただきたい!
硫黄島での現代からは考えられない想像をはるかに超えた生死をかけた壮絶なドラマが書かれている。
その手紙の内容とは・・・
戦時中の痛ましい史実が場面描写で描かれる門田隆将さんのノンフィクションは、どれを手にしても心に響く。
昨年の8月、ブログ93回目でもご紹介させていただいた「尖閣1945」も知らぜらる史実のひとつだった。
「尖閣戦時遭難事件」
痛ましい事件だった。
戦争の悲劇とは何かを痛烈に考えさせられた二冊だ。
ぜひ読書の皆さんには手に取っていただき、後世に残す書として保存して欲しいからね。
けっして二度繰り返してはならない戦争を忘れてはいけないからね・・・
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次回もみつまめの独断目線でいろんな角度からお届けするね(@^^)/~~~
じゃ~またね。バイバイ(@^^)/~~~