162回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~知らなった史実、涙が止まらない😢~

こんにちは管理人のみつまめです。

石破80年談話が見送られそうだ(@^^)/~~~

しかしまだ石破ニゲルの事だ。

違う形、つまり個人的見解のメッセージで表すかもだ(;^_^A

出せば近隣諸国の思うつぼだ。

歴史カードを使いまた攻撃してくるのは目に見えている(;^_^A

8月15日終戦記念日まであと少しだ。

今から80年前の終戦間近の頃、日本から遠い硫黄島で、痛ましい、ある史実があったことをみつまめが注目する作家、ジャーナリストの門田隆将氏の著書「大統領に告ぐ 硫黄島からルーズベルトに与ふる書」で知った。

 命をかけて届けられた「平和の手紙」  ~硫黄島で生まれた、涙の物語~


硫黄島 涙の物語

・市丸利之助少佐・三上弘文兵曹・村上治重参謀の3名の命をかけた勇気あるそして涙があふれる物語だ。――

1. 硫黄島、最後の決戦

1945年3月、硫黄島。
米軍の包囲は日ごとに狭まり、弾薬も食料も尽きかけていた。
海軍少将・市丸利之助は、かつて予科練の若者たちを育て上げた教育者でもあり、部下からの信頼は厚い人物だったと云う。

敗戦は避けられない――。
それでも市丸少佐には最後にどうしても伝えたい想いがあった。
それは、憎しみではなく、未来の平和を願う言葉だった。


2. 大統領への手紙

市丸少佐はアメリカ大統領ルーズベルト宛に、日本人の心を綴った手紙を書き上げる。
「互いに理解し合えば、必ず戦争のない未来を築ける」――そんな思いが込められていた。


3. 二人の若き使者

手紙を託されたのは二人の若者。
ひとりはハワイ生まれの日系二世・三上弘文兵曹。
彼は英語でこの手紙を翻訳し、アメリカの人々にも届くようにと力を込め生死をかけ翻訳に力を注いだ。

もうひとりは通信参謀の村上治重大尉。
彼は、市丸少佐が書いた日本語の手紙と三上兵曹が翻訳した英語版手紙の、二通の手紙を腹に巻きつけ、総攻撃に向かったという。
「必ず届ける」――それが彼の最後の使命だった。


4. 命と引き換えの使命

激しい戦火の中、村上参謀は戦死。
しかし、彼の体から見つかった手紙は米軍の手に渡る。
やがて1945年7月、全米の新聞にその全文が掲載され、多くのアメリカ人の心を揺さぶった。


5. 届かなかった宛先

けれども、宛先のルーズベルトはすでに亡くなっており、残念にもその目に触れることはなかった(;^_^A

それでも、硫黄島の小さな島で紡がれた、この命がけのメッセージは、戦争を越えて人々の胸に刻まれ、忘れることなく語り継がれるだろう。


最後に思う。。。

硫黄島の戦いは、日本にとってもアメリカにとっても激烈を極めた戦場だった。

史上最大の激戦。

日本軍2万1千人

米軍11万1千人

5倍以上の大兵力を投じた米軍、結果は明らかだ(;^_^A

その中で生まれた「平和の手紙」は、たとえ宛先に届かなくとも、人としての尊厳と誠実さを今に伝えていると云う。。

皆さんには是非、ジャーナリストである門田隆将さんの著書「大統領に告ぐ、硫黄島からルーズベルトに与える書」を読んでいただきたい!

硫黄島での現代からは考えられない想像をはるかに超えた生死をかけた壮絶なドラマが書かれている。

その手紙の内容とは・・・

戦時中の痛ましい史実が場面描写で描かれる門田隆将さんのノンフィクションは、どれを手にしても心に響く。

昨年の8月、ブログ93回目でもご紹介させていただいた「尖閣1945」も知らぜらる史実のひとつだった。

尖閣戦時遭難事件

痛ましい事件だった。

戦争の悲劇とは何かを痛烈に考えさせられた二冊だ。

ぜひ読書の皆さんには手に取っていただき、後世に残す書として保存して欲しいからね。

けっして二度繰り返してはならない戦争を忘れてはいけないからね・・・

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次回もみつまめの独断目線でいろんな角度からお届けするね(@^^)/~~~

じゃ~またね。バイバイ(@^^)/~~~

161回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~悲劇、遅すぎた判断(;^_^A

こんにちは管理人のみつまめです。

今日は急遽、目に飛んできた甲子園球児の考えさせられるニュースが飛び込んできたので今回、予定していたもう一つの戦争の史実は次回にご紹介するね。

名門・広陵高校、甲子園大会中の突然辞退 “暴力問題”が引き起こした異例の結末とは(;^_^A


1. 突然の辞退、何があったのか?

広陵高校は今日2025年8月10日、第107回全国高等学校野球選手権大会(甲子園)に出場中だったものの、大会途中で辞退を発表した。2回戦進出目前にもかかわらず、「大会の辞退」を決定することは、極めて異例中の異例だ・・・


2. 背景──暴力行為の発覚と波紋が広がる

  • 部員間の暴力:2025年1月、野球部寮において上級生複数による1年生への暴力が発生し、被害生徒の方は転校。学校は加害者に一カ月以内に行われる公式戦出場停止処分を実施
  • SNSでの拡散:7月下旬、当時の暴力問題がSNS上で拡散し、関心が急拡大した。さらに元部員からも追加の被害告発があり、第三者委員会が設置され調査が進行 していたようだ。
  • 高野連の対応:日本高野連は3月に学校側に厳重注意を行い、出場自体は認めていたものの、SNSなどで事態が再び注目されたことが背景に あった。そもそもなぜ高野連は出場を許可したのかが甚だ疑問だ。

3. 辞退決断の舞台裏はこうだ

  • 校長会見の発表:今日、兵庫県西宮市での会見で堀正和校長は、「このまま試合を続けることは被害者に誠意を欠く」と表明。理事会でも辞退を決議し、日本高野連への申し入れが受理された形だ。
  • SNSでのさらに深刻な影響:爆破予告や誹謗中傷、監督・コーチによる暴力や暴言の情報までSNS上で流れ、学校や大会運営に大きな心理的・社会的圧力がかかる。

4. この辞退が持つ意味と波紋

  • 高校野球史上初の“大会中辞退”:これまでにも不祥事や感染症による辞退はあったが、試合が進行中に辞退する例は広陵高校が初めてだ(;^_^A
  • 組織の構造的問題の可視化:暴力の文化、責任ある対応が後手だった組織体制への批判、SNS時代における透明性対応の必要性など、野球界全体、いやスポーツ界全体の課題が浮き彫りに なった。

最後に、被害者の親御さん方からの今回の悲劇のメッセージを目にしたとき、親としてなんとも心が痛んだ(;^_^A

子を思う親として、いや子供の受けた悲惨な行為を目の前にして、今回の加害者は、けっして許されるものではない。

即刻、先ずは責任を取り校長、野球部の監督は辞任すべきだ。

そしてこの事件の背景にはおそらく根の深い様々な問題が隠れていることだろう。

お粗末な初動の判断が、ここまで社会に影響を及ぼした罪は大きい!

加害者は甲子園という高校野球の聖地を汚した罪を一生背負って生きていかなければいけない。

お盆を前に、なにかモヤモヤした考えさせられる事象だ。

明日からも当面この広陵高校の事件のニュースが大きく取り上げられるだろう。

次回は、終戦記念を前に、みつまめが最近知ったあの硫黄島にこんな涙の物語があったとはを皆さんにご紹介するね(@^^)/~~~是非知ってもらいたいからね!

じゃ~またね!(@^^)/~~~

160回 秘みつのまめ園~毎日が筋肉痛~摩訶不思議 石破ニゲル、 その心理と計算を読み解いてみた!

こんにちは管理人のみつまめです。

衆議院選挙、都議会議員選挙、参議院選挙──三連敗という政治的打撃を受けたにもかかわらず、石破首相はなぜ辞任しないのか?政権の求心力が明らかに低下しているにもかかわらず、みつまめの独断と偏見でその心理の深層に迫ってみた(;^_^A


1. 「責任感」か「執着心」か?

表向きは「責任を取って逃げるのではなく、立て直す」と語る石破ニゲル首相。しかしその言葉の裏には、「このまま辞めたら政敵に全てを奪われる」という執着心が見え隠れするよね。
一度トップの座に就いた者が、自ら降りることは簡単ではない。特に、かつて冷遇され続けた石破氏にとって「自分の政権を完結させる」ことは、政治人生の執念とも言えるはずだ。


2. 退陣=「負け犬」のレッテル

政治家にとって「辞任」は一種の敗北宣言とも言えるだろう。特に石破首相のように、長年“改革派”として自民党内で異端の立場を貫いてきた人間にとって、「自ら退く」ことは敵対派閥に敗北を認めるようなものだ。

安倍政権下では自民党内野党と言われていたからね(;^_^A


彼の内心には「ここで辞めれば“やっぱり石破ではダメだった”という歴史を刻まれてしまう」という強烈な恐れがあるはずやからね。


3. 「政局の霧」が去るのを待っている

石破首相は理論派であると同時に、極めて戦略的でもある。現在の惨敗は「風」や「メディアバイアス」のせいだと割り切り、「今辞めるのは最悪のタイミング」と考えている可能性がある。
政局の霧が晴れ、野党が失速したタイミングで「やっぱり石破が必要だ」という空気を作る──そんな“逆転シナリオ”を心の中で描いているのかもしれない。

そもそも政治資金不記載,いわゆる裏金問題は過去の政局から継続していたことが問題で石破政権下の問題ではないと石破ニゲル氏は思っているにちがいないからね(;^_^A


4. 退陣後の「居場所がない」恐怖

石破首相は党内で孤立気味で、後ろ盾が少ない。いわゆる仲間がいないと聞く。

退陣すれば政界での影響力を一気に失い、次の総理候補にもなれないリスクがある。
そのため「どんなに苦しくても今しかない。ここで成果を出さなければ、もうチャンスは来ない」という心理的プレッシャーが強く働いていることは間違いないだろう。


5. 「次の勝負」を見据えた強がり

最後に考えられるのは、「この敗北を乗り越えることで、自分の政治力を証明できる」という自分勝手な自分が正義だと思っている自己イメージへの執着だ。
石破首相にとって、逆風の中で生き残ることが“リーダーとしての真価”だと信じており、その“強がり”が結果的に退陣を拒む姿勢となって現れているのかもしれない。


終わりに

選挙惨敗にもかかわらず辞任を拒む石破首相。その背後には、政治家としての矜持・恐れ・打算が複雑に絡み合っている。
「なぜ辞めないのか?」という問いの奥には、「辞められないほどの何か」がある──そんな深層心理を感じずにはいられない。

うちの妻曰く、石破首相の妻が、「あんたは何も悪くない、今までの政権が悪いのだから責任を取ることはない。」と言ってるよ~って、さすが女性目線で、究極の石破首相の心の中を読み説いた(@^^)/~~~

女性の読みは凄すぎる(;^_^A

もしかしてこれが心理深層の究極の1丁目一番地かもだ。

メディア報道の中、みつまめが心配していた「石破首相80年談話」については石破首相は個人的なメッセージを文書で出すことは見送る方向で調整に入ったと云う。

あたりまえだ。亡くなった安倍首相が70年談話を有識者を交えて半年前から一言一言を慎重に考え、未来ある子供たちや孫に、その先の世代の為に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない。

「終戦八十年、九十年、百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく、その決意であります」と締めくくっているのに、上書きをするような発言はもってのほかやからね。

石破首相、決して80年談話を出さないで欲しい(;^_^A

出せば中国側の思うつぼだ(;^_^A

次回は、少し目線を変え、終戦日を前に、みつまめも知らなかった戦争の痛ましさのひとつをご紹介するね。

歴史を知ることはほんとうに必要やからね!

じゃ~またね、バイバイ(@^^)/~~~

★いたずら好きのMくんもまたかわいいよ~(@^^)/~~~