こんにちは管理人のみつまめです。
みつまめも知らなかった「竹島の日」
韓国との領土問題がいまだに解決されていない。日本の領土か、はたまた韓国の領土なのか?
遠い歴史から少しひも解いてみたので、ご参考にね(@^^)/~~~
2月22日「竹島の日」
歴史資料から読み解く“国家主権”
ほんとに竹島は小さな岩礁。
しかしながら、そこには数百年にわたる記録と外交の積み重ねがあった。
感情ではなく、資料から見てみよう。
① 江戸時代の記録
17世紀まで時間をさかのぼってみた。
鳥取藩の大谷家・村川家は、現在の竹島周辺でアシカ漁などを行っていたとされる。
幕府から渡海免許が出されていたことを示す記録も残っている。
また、江戸幕府が1690年代に行った「竹島一件」では、
鳥取藩が幕府に提出した報告書の中で、現在の竹島(当時は「松島」と呼ばれた)を日本側が認識していたことがうかがえる。
② 1905年の島根県告示
1905年2月22日、島根県は「竹島を島根県の所管とする」と告示している。
これは官報にも記録として残っている。
日本政府は、この編入を「無主地の先占」にあたると説明している。
つまり、
「国際法上の手続きを経て領有を明確にした」というのが日本側の主張だ(@^^)/~~~
③ 戦後処理と条約文
1951年のサンフランシスコ平和条約では、日本が放棄する地域が列挙された。
条文には
「朝鮮の独立を承認し、済州島、巨文島及び鬱陵島を放棄する」
とあるが、竹島の名称は記載されていない。
つまり竹島の名は、日本は放棄しない、日本の領土というのが正論だ。
ただ「書かれていない」点をどう解釈するかが、
現在まで続く大きな争点となっている。
④ 1952年 李承晩ライン
1952年、韓国の李承晩大統領は一方的に海洋主権線を宣言したようだ。
これがいわゆる「李承晩ライン」。
竹島はその内側に含まれていた。
その後、韓国は警備隊を常駐させ、
現在に至るまで実効支配を続けてる。
⑤ 昨年の首相発言の意味
昨年の総裁選挙中の高市早苗氏は、2月22日式典への政府の関与、つまり大臣級の閣僚の出席はすべきだと発言している。ただ、先日、島根県で行われた記念式典には大臣は出席せず、総務会長として初めて有村総務会長が出席をしている。総務会長はいわば大臣級のクラスだ。
これが今、国家主権にかかわると話題になっている。
高市総理が出席すべきだと、世論の意見もこれまた理解できる。
ただ今は中国の勝手な解釈で反日政策が行われいるなか、わざわざ韓国の感情を掻き立てることもない。
高市総理の判断は間違っていない。
この主権問題は、
“資料の解釈”と“政治の判断”の両方で形づくられているはずだ。
ではこの主権をどう考えるか
竹島問題は、
・江戸期の記録
・明治期の行政文書
・戦後条約の条文
・一方的な海洋宣言
これらの積み重ねの上にある。
この小さな島。小さい島であっても、そこにあるのは「主権」という国家の根幹がかかっている。
2月22日「竹島の日」は、感情ではなく資料を読み、主権とは何かを考える日なのかもしれないよね。
この小さな岩礁の背後にある重みを歴史は語っている。
最初のボタンのかけ間違いが多くの時間をさき、未来にも影響する竹島問題だ。
数多くの難題をかけている高市政権。
なんとかこの領土問題も近い将来解決してくれることを希望しているからね。

竹島の航空写真
写真:Kim Ji Ho(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 2.5
★歴史はホントに奥深いよね・・・